・1563年-1609年6月4日。49歳。パートナーは 常高院 お初
若狭国小浜藩の初代藩主。
京極家は、室町幕府のエリート一家です。
応仁の乱(1467年から)以降は他の名門と同じくすっかり落ちぶれておりました。
京極高次は、8歳で織田信長に人質に出されます。
真面目に仕えていたようで、10歳の頃には5,000石もの領地をもらっていました。
【本能寺の変】
高次は妹の嫁ぎ先が明智光秀についたため、その縁で自分も光秀に協力しました。
明智光秀は、山崎の戦いで豊臣秀吉に滅ぼされてしまい、高次は身分を隠して一時野に下りました。
名門好きの秀吉が京極高次の妹を気に入り、側室にしたことで彼の運が開けました。
高次は、九州征伐で功を挙げてめでたく大名になります。
【京極高次の正室は、常高院・お初(はつ)】
若狭小浜藩の藩主 京極高次の正室は、
常高院・お初(はつ)。浅井(あざい)三姉妹の次女。京極高次の正室
です。
姉は豊臣秀吉の側室「茶々」、妹は徳川秀忠正室「江(ごう)」。
小浜の後瀬山(のちせやま)にある常高寺は、お初の発願により建立されました。
京極高次は、浅井家の娘・お初と結婚します。
いとこ同士で歳も近く、仲もよかったようです。
お初の姉は淀殿(茶々)です。
この結婚のせいで高次は”蛍大名”といわれるようになりました。
【京極高次は蛍大名】
「妹の竜子を豊臣秀吉に差し出したおかげで出世した」
「妻のお初の七光りで大名となった」
このことで、京極高次は、
「奥さんのお初と義理のお姉さんの茶々を通して、秀吉にすり寄ったに違いない」
とのうわさを建てられます。
< 女性のお尻の七光りで大名になった蛍大名>との評判をたてられまし。
【京極マリアは京極高次・竜子の母】
京極マリアは、京極高次・竜子の母です。敬けんなキリシタンです。
長男高次が領する若狭小浜にもたびたび足を運びました。
【京極 忠高は、京極高次の長男】
京極 忠高は、京極高次の長男です。
小浜~熊川の間を流れる遠敷川(おにゅうがわ)の改修をし、船が往来できるようにしました。若狭土手と呼ばれる大土手を作り、功績を残しました。
【18分】蛍大名と呼ばないで!『京極高次』が見せた意地の戦いとは?
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京極高次・お初(常高院)関連年表 小浜市
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