- 太田道灌は1457年に、川越城を築き、同じ年にちっぽけな村であった江戸に江戸館を築きました。
- 家康、10回ほど、川越の喜多院、川越方面にきています。
- 江戸をまもる上野の寛永寺は、川越の喜多院の天海さんが開山し、住職となりました。
- 寛永寺の本堂は、川越から移築したものです。
- 日枝神社・赤坂山王は、川越の日枝神社を分祀したものです。
- 1617年、徳川家康の遺骸は、静岡の久能山から日光東照宮へ運ばれる途中、江戸へは寄らずに、川越の喜多院に4日間逗留し、供養されました。
いまでは、日光東照宮、久能山東照宮、川越の仙波東照宮が日本三大東照宮といわれるゆえんです。 - 川越藩の藩主には、江戸幕府の重鎮が配されました。
老中は松平信綱など6名、大老は、柳沢吉保など2名です。
【川越藩の大老と老中】 - 川越には、江戸をしのばせるものが多くあり、そのため小江戸(コンパクトな江戸)とよばれます。:
川越まつり、蔵造りの町並み、家光誕生の間、春日局化粧の間、八坂神社(江戸城の宗教関係の唯一の遺構)