ピケティと代表制民主主義 早川誠 立正大学教授
2016/9/19 3:30nk highlighter
なぜ民主主義はうまくいかなくなってしまったのか。こんな嘆きを聞くことが増えた。米国の「トランプ現象」や英国の欧州連合(EU)離脱などを見て、そう感じる人が多いのかもしれない。だが私はむしろ今日の状態こそ民主主義の普通の姿だと思う。
フランスの経済学者トマ・ピケティ氏の格差論が少し前に流行した。その中では、第2次世界大戦後に起きた数十年間の経済成長と格差縮小はむしろ例外であった、と論じられている。私は、代表制民主主義にもこれと似たようなところがあると考えている。
選挙権の拡大とともに現代的な代表制民主主義が始まったのは、先進的な英国でも19世紀からだ。私たちがなじんでいる代表制には、100年ほどの歴史しかない。しかもその前半には大規模な戦争が繰り返された。代表制民主主義が安定していたのは、長くて50年。日本でいえば、戦後政治の枠組みができた1955年から政治改革が始まった90年代くらいまでだろう。
この安定はピケティ氏の言う経済成長と格差縮小を背景としていた。拡大する経済の中で国民全体に分配が行き渡るからこそ、代表制は信頼された。当時の自民党政権下での分配型政治も、善悪はともかくこの潮流の中にある。
だが戦後の繁栄が例外だったとしたら、代表制の安定も例外だったことになる。人びとの不満の源が今後も続く分配資源の不足や格差にあるならば、政治腐敗の解消や政治家の資質向上だけでは問題は解決しない。私たち自身も、対立と混乱に耐えつつ分配を調整し続けなければならない。しかもその作業のやっかいさから、民主主義が嫌悪される可能性もある。
この点で気になるのが「みんな忙しくて直接参加できないから代表制を採用している」との考え方だ。代表制にも実はかなりの参加が必要なのに、これでは「忙しければ参加しなくてよい」と言っているようなものだ。私も自治体の審議会委員をしていてパブリックコメント募集への反応が鈍く悩むことがある。
代表になった人も市民の声を聞かないと不安だし、猜疑心(さいぎしん)から「素人は口出しすべきでない」と考えがちになる。だがそれでは民主主義は成立しない。デモや住民投票を含め代表制を支える仕組みは多い。民主主義に手間と苦労はつきものだ。その荷が重すぎると言うなら、民主主義を捨てる覚悟まで問われると考えるべきだ。
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