citrus 2017.02.03
人に好き嫌いがあるように、国同士にも好き嫌いがあります。各種調査によると、日本に対して好意を寄せてくれている国のほうが圧倒的に多いのが実情です。その理由は、日本が戦後一貫して築いてきた平和国家のイメージや、世界をリードする経済とテクノロジー、伝統文化やサブカル、さらには国民性といったものが、世界の人々に好ましく思われているからだと思われます。
しかし、そういった一般的なイメージによる「親日」とは別に、ある特別な理由によって、「日本が大好き!」になった国も多く存在します。これらの国々が「超親日国」になった〝きっかけ〟を探れば、歴史に埋もれた秘話や感動の逸話、意外な人物の奮闘など、多くの興味深いストーリーが介在していることがわかります。ここではいくつかの「あの国」と日本の〝絆の物語〟を紹介していきます。
■ポーランド……窮地を救ってくれた日本への70年越しの「恩返し」
ポーランドが日本びいきになったのは、20世紀前半に日本がたびたびポーランドを援助していたからだと考えられている。当時、帝政ロシアの圧政に苦しんでいたポーランドは、日露戦争で小さな日本が超大国ロシアにまさかの勝利をし、歓喜に沸いたという。そして1914年、第一次世界大戦時、ポーランドは、ロシア軍とドイツ軍の主戦場となってしまい、多数のポーランド人がシベリアへと逃げていった。その数20万人。だが彼らはシベリアの荒野で餓死、凍死、病死と、次々に命を落としていく。挙兵したポーランド人もいたが、ロシア軍にはまったく歯が立たず、窮地に陥っていた。
そのとき、救いの手を差し伸べたのが日本人。ロシア軍に追い詰められたポーランド人部隊を救助し、シベリアから祖国へ送り届けた。そしてまた、多くのポーランド人の孤児を保護して日本へ。そして祖国へ送り返す。祖国へ帰国する際、孤児たちは船の上から「アリガト」と、日本との別れを惜しんだ。70年後、ポーランドは、その恩を忘れず、阪神淡路大震災で被災した60人の日本の子どもたちをポーランドに招待して慰めてくれたのだった……。
■イラン……国の救世主となった「日章丸」のドラマ
イランは、原油の確認埋蔵量が世界4位という資源大国。第二次大戦前はイギリスの半植民地のような状態だった。ところが、1951年、イランが自国の石油を国有化したことで、イギリスが激怒し、ペルシャ湾に艦隊を派遣し、海上封鎖に打って出て、イランの石油は国際市場から閉め出されてしまう。その結果、どの国もイランの石油を買わなくなり、石油輸出に依存するイランは国家存亡の危機に陥る。そのとき、果敢にもイランの石油買い付けに乗りだしたのが、日本の出光興産だ。社長の出光左三は、かねてよりイギリスから搾取されつづけていたイランに同情的だったのだ。
イギリスの目をかいくぐってタンカー「日章丸」がイランに到着。「日章丸」は、まさにイランの「救国の船」になった! この一件により、イランに「超親日国」の土台が築かれたのである。
■トルコ……「エルトゥールル号」事故に端を発した両国の友好関係
1860年(明治23年)、トルコ(オスマン帝国)の軍艦が日本を表敬訪問した際、和歌山県沖で台風に遭遇し難破。沈没してしまったのである。乗員の安否は絶望的と思われたが、地元串本の人々は、必死で人名救護にあたり、運よく島に流れ着いたトルコ人に浴衣を着せたり、食料を分け与えたりし、生存者を手厚くもてなした。結果69名の命が救われたのである。その後、トルコの教科書にエルトゥールル号事件が掲載されたこともあり、トルコの人々は親日感情を深めていく。
ときはたち、昭和60年、今度はトルコが日本の窮地を救ってくれることに。イラン・イラク戦争が勃発し、中東情勢は緊迫の度を増していた。そうした中、イラクのフセイン大統領が「イランの上空を飛ぶ飛行機を撃ち落とす」と世界に向けて宣言したのである。攻撃まで残された時間は48時間。各国とも、自国民の帰還・保護に努めたが、日本は航空機を確保できず、イラン在住の日本人たちが取り残されてしまった……。このとき、彼らを救出するために、自らの危険を顧みず救援機を飛ばしてくれたのがトルコだったのである! トルコ人は「エルトゥールル号の遭難で日本人に受けた恩は忘れていません」と語るという……。
■インド……大正時代から独立運動に関わった日本との強い絆
イギリスからの独立を画策するインドのビハリ・ボーズは、1914年(大正3年)に日本へ亡命。パン屋「新宿中村屋」に匿われる(その際、ボーズが伝授したのが、中村屋名物「インド・カリー」)。その後も日本は、インドの独立に関わり続ける。そして、敗戦後の「東京裁判」では、インドのパール判事はただ一人、日本人被告全員の無罪を主張……。
■フィンランド……独立を後押しし、領土問題も解決した日本人
フィンランドも日露戦争で日本びいきに。日本はまた、フィンランドのロシアからの独立を後押しし、経済援助や武器供与も行った。さらにスウェーデンとの間に領土紛争が起きると、国際連盟の事務次官だった新渡戸稲造がこの領土問題を「大岡裁き」でスッキリ解決し、フィンランドは超親日国に!
【関連書籍】
『「あの国」はなぜ、日本が好きなのか』(三笠書房)
0 件のコメント:
コメントを投稿