楠木正成。南朝の後醍醐天皇につくし鎌倉幕府とたたかった天才戦術家。 7月5日没

楠木正成。南朝の後醍醐天皇につくし鎌倉幕府とたたかった天才戦術家。 7月5日没

・1294年。河内国ー
1336年7月5日没。兵庫県神戸市


楠木正成(くすのき まさしげ)は、河内国(かわちこく、大阪府)の小豪族でした。
1331年、南朝の後醍醐(ごだいご)天皇の倒幕の挙兵に応じ、鎌倉幕府をなやましました。


北朝の足利尊氏(たかうじ)とたたかいましたが、尊氏の軍に負け、戦死しました。

幕府軍を相手に1か月間も籠城するなどゲリラ戦と奇策を得意としました。



【南北朝の争乱とは】


朝廷が南朝(吉野、よしの)と北朝(京都)に分かれて対立した全国的な内乱です。
約半世紀(1336〜1392年)続きました。


1336年、足利尊氏が九州から京都にはいり、天皇をたてました。これを北朝といいます。


これに対して、後醍醐天皇は、ひそかに吉野(奈良県)にのがれて南朝を開きました。


1392年に、南朝はほろびました。


南北朝の争乱を通じて、朝廷の権威が落ち,室町幕府が全国を支配するようになりました。


【名言】
「足ることを知って、及ばぬことを思うな」 (足りている部分に目を向けて、足りないことを思うな。)


【受験】
1336年、南北朝の対立開始
♪♪~  いざ見ろ(1336)分裂、南北朝



【キーワード】

  • 悪党:「強い」という意味も。
  • 後醍醐天皇をささえる。南朝  
  • 鎌倉時代
  • 赤坂城。
  • 千早城。「千早振る」
  • 「桜井の別れ」
  • 「七生滅敵」
  • 建武の新政   
  • 元弘の変
  • 『太平記』

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