山岡鉄舟。江戸城無血開城の立役者。Yamaoka Tesshū。7月19日没
山岡鉄舟。江戸城無血開城の立役者。Yamaoka Tesshū。7月19日没
| 山岡鉄舟(てっしゅう) |
・1836年6月10日。 江戸~ 1888年7月19日没。53歳
山岡鉄舟(てっしゅう)は、
剣術家で、
禅、
書の達人です。
西郷隆盛と勝海舟の会談を
実現させた
江戸城 無血開城の立役者です。
身長は188センチです。
明治維新後は、静岡県とかかわり、
清水次郎長(やくざの親分)と意気投合しました。
実家の土地の一部であった埼玉県小川町の割烹旅館「二葉」には、
鉄舟が好んだ料理「忠七めし」が伝わっています。
明治天皇の京都へおでかけの際には、
「味付け海苔」が創案されました。
山本海苔店の商品のいくつかは鉄舟の揮毫です。
木村屋のあんパンを好みました。
木村屋の看板は鉄舟の揮毫によるものです。
【名言】
西郷隆盛 談
「金もいらぬ、名誉もいらぬ、
命もいらぬ人は始末に困るが、
そのような人でなければ天下の偉業は成し遂げられない。
それが山岡鉄舟だ」
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