「仙台いちご」復活へ歩み ハウス再建、宮城県山元町

7-3】(河北新報社、文と写真・原口靖志)引用編集

収穫を前に、赤く色づいてきたイチゴの実を手に目を細める菊地健さん。2012

「仙台いちご」復活へ歩み ハウス再建、宮城県山元町

 ビニールハウスの中で赤く色づき始めた果実が輝く。
東日本大震災で632人が犠牲となった宮城県山元町(やまもとまち)。
「やっと、ここまで立ち直ることができた」。
50年近くイチゴの栽培に取り組む菊地健(きくち・たけし)さん(70)は、2シーズンぶりに実った粒を手に取って目を細めた。

 震災の津波で約2600平方メートルのハウスは自宅とともに全壊した。
内陸部にある仮設住宅で暮らしながら、自宅敷地内にハウスを再建した。
妻みき子さん(61)とクリスマスの最需要期に向けて作業を続ける。

 山元町と、隣接する亘理町(わたりちょう)は「仙台いちご」のブランドで知られる東北一の産地だった。
2010年には両町の380戸が約96ヘクタールで生産し、販売額は約33億5000万円に上った。
津波では農地、施設の95%が被害を受ける壊滅的な打撃を受けた。
今シーズンまでに栽培を再開したのは137戸の26・2ヘクタール。
少しずつ、完全復活に向けた歩みを進めている。
 
 来年には、国の復興交付金を活用して整備する「いちご団地」(ハウス面積約35ヘクタール)の大部分が両町内に完成する予定だ。
亘理町の99戸、山元町からは52戸が参加し、大型ハウスに腰の高さで作業ができる「高設ベンチ」を設置し栽培する。
「みやぎ亘理農協」の担当者は「効率よく、粒のそろったイチゴが育ってほしい」と期待を寄せる。

 イチゴ栽培再開に向けては、両町に国内外から大勢のボランティアが駆け付けた。
連日数十人、延べ1万人近くの力を借りたという菊地さんは「懸命に働くボランティアの姿を見て再起を決意した。
1年生の気持ちになってやり直す」と力を込めた。

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