坂上 田村麻呂 |
・西暦758年~811年6月17日没。54歳。
坂上田村麻呂は、797年征夷大将軍(せいい たいしょうぐん、後注)になり、
東北地方を制定しました。
胆沢城(いさわじょう) |
坂上田村麻呂(さかのうえ の たむらまろ)は、
平安時代初期の武将です。
桓武天皇に征夷大将軍に任命されました。
蝦夷(えみし)を制圧しました。
蝦夷の拠点の胆沢(いさわ、岩手県奥州市)に
胆沢城を築きました。
蝦夷(えみし)の族長のアテルイ(阿弖流為)は、
自ら降伏してきました。
【異論】
田村麻呂は、朝廷にアテルイを助けるように願いましたが、
処刑されてしまいました。
坂上田村麻呂は、京に清水寺を建てました。
「阿弖流爲(アテルイ)、母禮 (モレ)之碑」を見ることができます。
蝦夷(えぞ、えみし)を征討する大将軍のこと。
エゾとは、東北の朝廷に従わない日本人などのことを言いました。
源頼朝のあとは、
胆沢城を築きました。
蝦夷(えみし)の族長のアテルイ(阿弖流為)は、
自ら降伏してきました。
【異論】
- 蝦夷(えみし)は、九州南部の熊襲(くまそ)とおなじく、日本人です。
反乱の意図もありませんでした。 - 坂上田村麻呂は「平定」ではなく、「侵略」をしてしまいました。
- この頃から、中央の東北差別は歴史的、構造的です。
東北は、日本の良心の鑑でした。
田村麻呂は、朝廷にアテルイを助けるように願いましたが、
処刑されてしまいました。
阿弖流爲(アテルイ)、母禮 (モレ)之碑 清水寺 |
坂上田村麻呂は、京に清水寺を建てました。
「阿弖流爲(アテルイ)、母禮 (モレ)之碑」を見ることができます。
【名言】
(坂上田村麻呂の独白)
「みなさま、清水寺(きよみずでら)におこしの節は、
無実だったアテルイや蝦夷(えみし)の人々をねんごろにほおむってください」
無実だったアテルイや蝦夷(えみし)の人々をねんごろにほおむってください」
【※】【征夷(せいい)大将軍とは】
エゾとは、東北の朝廷に従わない日本人などのことを言いました。
源頼朝のあとは、
「幕府の最高司令官」
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