英語文学:翻訳に新風 多様な世界の今、リアルに映す。 nk

英語文学:翻訳に新風 多様な世界の今、リアルに映す。 nk
2018/1/20 nkを抜粋編集

 英語文学の翻訳に、30~40代の訳者が新風を吹き込んでいる。英語圏の内にも多様な文化的・言語的背景を持つ作家が現れ、言葉のニュアンスが複雑さを増すなか、世界と文学の「今」をとらえる訳文に挑戦している。


 昨年秋に翻訳刊行された「ぼくらが漁師だったころ」(早川書房)はアフリカ・ナイジェリア出身で、現在は米国在住の作家、チゴズィエ・オビオマのデビュー作だ。英国の権威あるブッカー賞の最終候補に残り、話題を呼んだ。

 ナイジェリアの小さな町に住む4人兄弟が神話的な暴力にさらされる物語。ナイジェリアの言語環境を映して、主人公は学校では公用語である英語、友人とは現地語のヨルバ語、家族とはイボ語を使う、という設定だ。作品は英語で書かれている。

 翻訳を手がけたのはアフリカ文学者の粟飯原文子氏(43)だ。粟飯原氏によると「イボ語特有の表現を、あえて直訳的な英語で書いている部分がある」。その原文の調子を出すため「ぼくの心が証明している」といった、日本語としては違和感のある訳文も試みた。「そこに作者の意図がある。日本語の読者も、立ち止まって考えるものにしたい」と語る。

★ 非西欧にルーツ

 今日、英語圏では非西欧にルーツを持つ作家が台頭している。2000年以降のノーベル文学賞を見ても、トリニダード・トバゴ出身のインド系作家ナイポールや南アフリカのクッツェーがいる。昨年受賞したカズオ・イシグロは日本生まれの英国人作家だ。

 原文ににじむ文化的・言語的背景や、母語と英語が混交したハイブリッドな感覚をどう反映するかが、翻訳の現場に問われている

 作家で翻訳家の谷崎由依氏(39)はジンバブエ出身のノヴァイオレット・ブラワヨ著「あたらしい名前」(早川書房)でその課題に挑んだ。米国に移住する少女の日々をつづった自伝的な小説で「繰り返しを多用する文章には、1つの単語を重ねて強調する、アフリカの言語感覚が反映されている」と話す。

 回想以外はすべて現在形で書かれているのも特徴だ。「『…みたい』『…だから』など文末表現を工夫し、少女が知っている英語だけでしゃべり続けるような、原文のリズムを再現した」

 メキシコ出身で米国在住の作家、サルバドール・プラセンシアの「紙の民」(白水社)を訳した英米文学者の藤井光氏(37)は「規範的な英語になじめない作家が英語という材料をいじっているうちにできた物語には独特の美しさがある。それに目を向けたい」と話す。

 たとえばインド生まれでアブダビ育ち、米国在住のディーパク・ウニクリシュナン(日本未訳)の小説では、1文が時に160単語を超す。このような場合は「意識して異様さを醸し出すより、素直に訳すことで特有の違和感を表現する」。

 昨年は、イラクからフィンランドに亡命したハサン・ブラーシムの短編集「死体展覧会」(白水社)を英語版から訳した。原文はアラビア語。重訳ゆえに「もとの文化の響きを少しでも伝えるため」(藤井氏)「預言者の言行録(ハディース)」「天女(フーリー)」などあえてルビを細かく振った。

★ 原文尊重の流れ

 多言語・多文化に向き合う翻訳は、おのずと原文を尊重する方向へ向かう。英文学者の山本史郎氏は「米国でも、自然な訳文にしすぎないほうがいいとの考えが出てきている」と指摘する。

 日本は翻訳大国といわれる。明治・大正期には名だたる作家・詩人によって訳の正確さより日本語の格調を重んじた訳書が出され、その後は原文にひきずられた「翻訳調」の訳書も多かった。

 1990年代以降、村上春樹氏や柴田元幸氏、鴻巣友季子氏といった現在50~60代の翻訳家たちがこれを刷新する。原文の味わいを生かし、日本語としても自然な文体が普及して、翻訳の質は格段に高まった。

 さらにその下の世代は、正統な英語や日本語の表現というルールに縛られない柔軟性を備えている。80年代以降、西欧・非西欧を問わず流入した豊富な海外文学をリアルタイムで摂取し、古典もサブカルチャーも等価に受容してきた世代。米同時テロ後、世界は多様で複雑であることを皮膚感覚で知ってもいる。

 藤井氏は「先行世代と比べて、自分たちが使う語彙は少ない。それは現代の作家がシンプルな単語を使いながらユニークな世界を作ろうとしているからだ」と語る。翻訳のあり方も世界の姿を鋭敏に映し出している。

(文化部 桂星子)

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