大隈重信。首相を2度。早大を創立。1922/1/10没。Shigenobu Okuma

大隈重信。首相を2度。早大を創立。1922/1/10没。Shigenobu Okuma

・1838/3/11- 1922/1/10

大隈重信(おおくま しげのぶ)は、佐賀県(肥前、ひぜん)出身の政治家です。
【※】薩長土肥の肥。

尊皇攘夷派の志士として活躍しました。

大久保利通、伊藤博文に協力して、政府の基礎をつくりました。

自由民権運動がおこると、国会の即時開設を主張して伊藤博文らと対立し、政府を追われました。

立憲改進党をつくって議会政治で活躍しました。

2度にわたって内閣を組織しました。

今の早稲田大学を創立しました。

板垣退助の自由党がフランス流の急進主義だったのに対し、大隈重信が総理の立憲改進党は、イギリス流のおだやかな政党でした。

その他
・野球で始球式を始めたのは大隈重信です。


★ 名言

「諸君は必ず失敗する。
成功があるかもしれませんけど、
成功より失敗が多い。

失敗に落胆しなさるな。
失敗に打ち勝たねばならぬ。」


大隈重信を語る  倉山満 宮脇淳子  【29+】

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Shigenobu Okuma is a politician from Saga Prefecture.

Together with Toshimitsu Okubo ,Hirofumi Ito, he created the foundation of the government.

When the Liberal Democratic Campaign occurred, he insisted on immediate opening of the National Assembly, but was expeled by the government.

He organized a cabinet twice.

He founded Waseda University.

While the Liberal Party of Itagaki's retirement was France's radicalism,
Shigenobu Okuma's party was a British-style gentle party.


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