大宮の氷川神社。
大宮の氷川神社には、
ハイキングシューズが
おすすめです。
氷川参道は、一の鳥居から三の鳥居まで2キロもあります。
…
氷川神社は、大きなお宮です。
「大宮」の地名も、「大きなお宮→ 大宮」に由来します。
主祭神は、出雲のスサノオノミコトです。
スサノオは、アマテラスの弟で、
雲上の高天原から、
出雲に降り立ったカミです。
「すさぶる」荒川をなだめます。
氷川神社は、
武藏国の一ノ宮です。
一ノ宮とは、国のたくさんの神の中で、一番えらいの神がいるところです。
源頼朝が幕府をおこしたときも、大宮の氷川神社に寄進をしています。
徳川家康も同様です。
武藏という国ができたのは、645年です。
その当時、武蔵国(むさしのくに)は北半が盛んでした。
したがって、武藏国の首都は府中にあり、一ノ宮は大宮にありました。
江戸はへんぴな田舎でした。
江戸城のあったところは低湿で水がよどみ、稲作には適していませんでした。
しかし、
秀吉は、行政の府を内陸部から湾入した海浜にもってきました。
家康も、内陸の府中から江戸にもってきました。
江戸城内の鎮守神として氷川明神を勧請(かんじょう、のれん分け)しました。
赤坂氷川神社
明治天皇は1868年10月に江戸城に入り、10日後には、大宮氷川神社にお参りしています。
明治天皇は3度参拝されました。
【※】
「氷川神社」といえば、
大宮の氷川神社のことです。
誤解を避けるためには、正確には、
大宮氷川神社といいます。
日光の東照宮の本名は、日光東照宮ではなくて「東照宮」です。
伊勢神宮も、正式には「伊勢神宮」ではなくて、「神宮」です。
ハイキングシューズが
おすすめです。
氷川参道は、一の鳥居から三の鳥居まで2キロもあります。
…
2キロ続く大宮氷川神社参道 |
氷川神社の楼門 |
参拝をする人々 2010 |
氷川神社は、大きなお宮です。
「大宮」の地名も、「大きなお宮→ 大宮」に由来します。
主祭神は、出雲のスサノオノミコトです。
スサノオは、アマテラスの弟で、
雲上の高天原から、
出雲に降り立ったカミです。
「すさぶる」荒川をなだめます。
氷川神社は、
武藏国の一ノ宮です。
一ノ宮とは、国のたくさんの神の中で、一番えらいの神がいるところです。
源頼朝が幕府をおこしたときも、大宮の氷川神社に寄進をしています。
徳川家康も同様です。
武藏という国ができたのは、645年です。
その当時、武蔵国(むさしのくに)は北半が盛んでした。
したがって、武藏国の首都は府中にあり、一ノ宮は大宮にありました。
武蔵の国。/* 小平市 |
江戸城のあったところは低湿で水がよどみ、稲作には適していませんでした。
しかし、
秀吉は、行政の府を内陸部から湾入した海浜にもってきました。
家康も、内陸の府中から江戸にもってきました。
江戸城内の鎮守神として氷川明神を勧請(かんじょう、のれん分け)しました。
赤坂氷川神社
明治天皇は1868年10月に江戸城に入り、10日後には、大宮氷川神社にお参りしています。
明治天皇は3度参拝されました。
大宮駅から氷川神社へ【地図】 |
【※】
「氷川神社」といえば、
大宮の氷川神社のことです。
誤解を避けるためには、正確には、
大宮氷川神社といいます。
日光の東照宮の本名は、日光東照宮ではなくて「東照宮」です。
伊勢神宮も、正式には「伊勢神宮」ではなくて、「神宮」です。
毎日新聞2018年1月8日 を抜粋編集
「当時17歳の若さだった明治天皇は明治の始まりに際し、まずは神に祈りをささげて国民の幸せを願い、新しい時代を作る覚悟を決めるために参拝されたのではないか」
さいたま市大宮区にある武蔵一宮氷川神社の東角井真臣(ひがしつのいまさおみ)権宮司(39)は明治元年の1868年、氷川神社を参拝した明治天皇の心情を推し量る。同年、都が京都から東京に移り、明治天皇は10月13日に江戸城に入った。同28日には氷川神社を訪れ自ら祭儀を執り行った。桓武天皇が平安遷都以後、山城国一宮の賀茂神社を崇敬したのに倣ったとされる。
この行幸から数え年で150年に当たる2017年10月28日、氷川神社では「明治天皇御親祭150年祭」が盛大に執り行われた。東角井権宮司は「天皇陛下が国民のために祈られてきたことを広く知ってほしい」と語る。明治維新150年の節目の年に「維新の志士たちが、どんな思いで国を守るために西洋列強と対峙(たいじ)したのかに思いをはせ、同時に西洋の植民地化に対抗し日本が戦争を続けていった事実にも目を向ける。輝かしい歴史と共に、負の歴史を学ぶことも大切です」と話す。
◇
氷川神社の創建は約2500年前とされる。約1300年前、聖武天皇の時代に「武蔵一宮」と定められた。全国に16社ある、例祭に天皇の勅使が派遣される勅祭(ちょくさい)社の一つで、毎年8月の例祭には勅使を迎え、儀式が執り行われる。
東角井権宮司は氷川神社の宮司を代々務める家に生まれ、11年に勅祭社としては最年少で権宮司に就任した。「もっと地域に開かれた神社にしたい」と、さまざまな改革に取り組んできた。それまで神社側から情報発信をすることはなかったが、神社のホームページを新たに作り、境内で配布する社報も作成した。
かつて氷川神社はゲンジボタルの名所で、昭和初期まで皇室にホタルを献上していた歴史があることから、14年に地元有志と共にホタルの再生活動を始めた。15年から毎年6月、ホタルを放って観賞会を開いている。境内は神聖な場所としてイベントが行われることは少なかったが、地域住民の憩いの場にしたいと、神社を学ぶ行事や地域の飲食店のイベントに開放した。
新たな取り組みと同時に、神社が「地域の氏子や崇敬者を裏切らない清浄(しょうじょう)な祈りの場所」であり続けることにも力を注ぐ。境内の森や全国一の長さを誇る約2キロの参道に企業や地域住民と共に植栽する活動も続ける。
「変わらずにあり続けるためには、見えない部分で時代に合わせ、小さな変化を続けることが必要。守るために攻めるのです」と東角井権宮司は語る。「伝統」と「革新」の間を行き来しながら、厳かな静寂の内側で今年も挑戦が続く。【山寺香】=つづく
明治元年10月27日に江戸城を出発した明治天皇は、翌28日に氷川神社を参拝した。特別展では、その様子を描いた県指定文化財「氷川神社行幸絵巻」や、明治天皇が氷川神社に奉納した神鏡や花器などを公開。50年ぶりに公開される明治天皇が着用した装束や、明治天皇ゆかりの美術品なども紹介している。
武蔵一宮 大宮氷川神社 公式HP
0 件のコメント:
コメントを投稿