2018/01/12

マルコ・ポーロ。『東方見聞録』でアジアを紹介。1324/1/8没。Marco Polo

マルコ・ポーロ。『東方見聞録』でアジアを紹介。1324/1/8没。Marco Polo

・1254- 1324/1/8


マルコポーロは、イタリアの商人・旅行家です。
ベネチアに生まれました。
17歳で宝石商の父と叔父につれられ、4年かけて陸路で北京に着きました。

元の皇帝フビライ・ハンに仕えました。

1295年にベネチアに戻りました。

ジェノアとの戦争で捕虜となり、牢内で旅行の見聞を話しました。

これが『東方見聞録(とうほうけんぶんろく)、The Travels of Marco Polo』となり、ヨーロッパに13世紀のアジアの事情を伝える重要な文献となりました。大航海時代をみちびくことになりました。

【※】
ジパング
マルコ・ポーロの『東方見聞録』で、日本はジパング、黄金の国とよばれました。

大航海時代
15世紀から16世紀にかけ、スペイン・ポルトガルが、大規模な探検航海を行った時代のことです。

イスラム教徒ととたたかって建国したポルトガルとスペインは、海外発展に力をいれました。
それは、イスラム教徒を攻めるためと、イタリア商人が独占していた東方貿易の富を得るためでした。

 マルコ・ポーロがつたえた東洋の知識、イスラムからつたわった天体観測器、羅針盤、火砲が航海を可能にしました。

ポルトガルでは、1498年にバスコ=ダ=ガマがインドまで到達しました。ガマがもちかえった香辛料は、航海費用の60倍の利益をあげました。

 イタリアのコロンブスは、スペイン女王の援助をうけて大西洋を横断、1492年アメリカの西インド諸島に達たっしました。

スペイン王の命をうけたマゼランの艦隊は、1519年から1522年までかかって地球を1周しました。

新航路の開拓の結果、ヨーロッパ人は、アメリカ大陸の文明をほろぼしてしまいました。
アフリカやアジア各地に植民地を広げていきました。

ヨーロッパでは、地中海沿岸にかわって、大西洋岸の諸国が繁栄にむかいました。

封建貴族が没落ぼつらくし、商工業者が反映するようになりました。

マルコ・ポーロの「黄金の国ジパング」は平泉 
ジャパン、ニッポンは福建語から



名言
「旅は私の学校だ。
自分の目で見、自分の頭で考える」
Travel is my school.
I judge from the eye and think by the head.
・・・・・・・・・・・

Marco Polo is an Italian merchant, and traveler.
He was born in Venice.
At the age of 17 he reached Beijing by overland with his jeweler's father and uncle.

He served the Emperor Fubirai Han.

He returned Venice in 1295.
He became a captive in the war with Genoa and talked about the trips in the prison.

This book " The Travels of Marco Polo"  became an important literature to convey the situation in Asia in the 13th century to Europe. 

0 件のコメント: