秩父宮勢津子。会津と朝廷のかけ橋 。Setsuko, Princess Chichibu。8月25日没

秩父宮 勢津子(せつこ)。会津と朝廷のかけ橋 。Setsuko, Princess Chichibu。8月25日没
秩父宮夫妻の結婚式 /wp 












・1909年9月9日。ロンドン~1995年8月25日没。85歳

秩父宮勢津子は、最後の会津藩主・
松平容保(かたもり)の孫です。

1928年(昭和3年)、結婚しました。
秩父宮は昭和天皇の弟であり、
皇位継承権第1位にありました。

ご成婚にあたり、秩父宮妃は、
    の「勢」
    の「津」を取り、
「勢津子」と改名し、秩父宮勢津子となりました。

伊勢は、会津の基礎をつくった蒲生氏郷(がもう  うじさと)が
会津の前におさめたところです。
蒲生氏郷

この婚儀は、1868年の戊辰戦争以来60年間、
朝敵とされていた会津藩の名誉回復につながるので、
会津人はこのうえない朗報に感涙にむせびました。


会津若松の御薬園(おやくえん)の
重陽閣(ちょうようかく)に顕彰碑があります。

重陽閣は、秩父宮勢津子妃の誕生日が、
9月9日(重陽の節句=菊の節句)であることにちなみます。
御薬園
御薬園は松平家の別邸でした。

秩父宮勢津子妃の系図
松平容保は幕末、京都守護職の任についていたとき、
個人的に孝明(こうめい)天皇からあつい信任を得ていました。


会津藩は、秩父宮勢津子の結婚で、
朝廷とばかりでなく、
徳川家ともつながりを回復しました。

勢津子の兄は、徳川宗家第17代の娘を夫人に迎えました。
その子が、徳川宗家第18代当主・徳川恒孝(つねなり、1940-)です。
徳川恒孝(つねなり)は徳川家康似です。
徳川恒孝系図 です。

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ノウゼンカズラ。
橙色の美しい花をつけます。
御薬園の秩父宮勢津子妃の顕彰碑前にて。会津若松市。2010/7

【追】松平郷・高月院にも秩父宮勢津子妃が

2012年12月末、徳川家氏祖の菩提寺・
高月院(愛知県豊田市の松平郷)を訪れました。
秩父宮勢津子妃お手植えの松が目に止まりました。
高月院

【cf.】 秩父宮 雍仁(やすひと)