伊達政宗。関ヶ原の戦いで徳川家康に味方し、仙台藩62万石を領す。【※】伊達政宗から天海僧正への手紙
伊達政宗 |
・1567年9月5日- 1636年6月27日
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伊達政宗から天海僧正への手紙
伊達政宗が天海僧正にあてた手紙が、
会津美里町の龍興寺に残っています。
伊達政宗「天海殿に面談したかったのですが、
先客があるとのこと。
またお疲れのようですから、今回は帰ります。」(要旨)
伊達政宗は天海の属する葦名一族を滅ぼしました。
1589年のことです。
摺上原の戦い(すりあげはらのたたかい)
天海にとっては伊達政宗は敵です。
しかし、政宗の直筆の書状からは、恩讐を超えた間柄であったことがうかがえます。
会津美里町の龍興寺に残っています。
伊達政宗「天海殿に面談したかったのですが、
先客があるとのこと。
またお疲れのようですから、今回は帰ります。」(要旨)
伊達政宗は天海の属する葦名一族を滅ぼしました。
1589年のことです。
摺上原の戦い(すりあげはらのたたかい)
天海にとっては伊達政宗は敵です。
しかし、政宗の直筆の書状からは、恩讐を超えた間柄であったことがうかがえます。
天海僧正は、伊達政宗の31歳上です。
<* 龍興寺は、2回の火災にもかかわらず、貴重文書を残しています。
<* 龍興寺は、2回の火災にもかかわらず、貴重文書を残しています。