1986年(昭和61年)7月31日没。満86歳没
杉原千畝(すぎはら ちうね)は、日本のシンドラーとよばれています。
独ソ不可侵条約(1939年)によってリトアニアは、ドイツのヒトラーからスターリンへプレゼントされました。
このころユダヤ人の大量虐殺が始まっており、リトアニア在住のユダヤ人は、国外への脱出を切望していました。
たいがいの外国領事館は、リトアニアから撤退していました。
日本の領事館は業務を続けていました。
しかし当時の日本は、ドイツと三国同盟を結んでおり、ユダヤ人へのビザの発給をしてはなリませんでした。
※三国同盟
1940年、日本、ドイツ、イタリアの「遅れてきた三者」が結んだ同盟。
杉原千畝領事は、本国の訓令に反して、人道的立場からビザを発給し、6千人ものユダヤ人を救いました。
1991年ソ連が解体し、リトアニアが独立すると、
杉原千畝の快挙を記念したスギハラ通りができ、
イスラエル政府は、杉原氏を顕彰しました。
ビザによって生き延びた難民たちの子孫は、
今日25万人にもおよびます。
こうしてナチスヒトラーに抵抗した杉原千畝の名誉回復が、
日本では46年後の1991年になってやっとおこなわれました。
日本では46年後の1991年になってやっとおこなわれました。
杉原千畝(すぎはら ちうね)は、英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語などに通暁していました。
特にロシア語には精通し、ニコライ学院でロシア語を教えていました。
リトアニア 外務省
◇ ◆ ◇
【救われた人びと】
・ニシェリ(B. Gehashra Nishri)は、イスラエルの宗教大臣になりました。
・レオ・メラッドは、少年の頃家族とともに日本を経て、アメリカにわたりました。
シカゴの商品取引所を世界有数の証券取引所に育て上げました。
杉原千畝記念館 岐阜県加茂郡
『屋根の上のバイオリン弾き』
ロシアにおけるユダヤ人迫害の物語
----------
※【地図】バルト3国の リトアニア
バルト3国は、「エラリー・クイーン」で
エラリー・クイーンは、アメリカのユダヤ系推理作家です。『Yの悲劇で』知られています。
わたし(桑原政則)はエラリから、「エストニア、ラトビア、リスアニア」を連想しました。
ルブリン トライアングル Lublin Triangle
Lublin Triangle |
ポーランド、リトアニア、ウクライナ3国の地域同盟。
歴史、文化、政治遺産を共有する3国が 、EU(欧州連合)、NATOへの加盟を目指す。
ウクライナ支援と対露制裁強化を協議。
Lublinはポーランド南東部にある。
歴史、文化、政治遺産を共有する3国が 、EU(欧州連合)、NATOへの加盟を目指す。
ウクライナ支援と対露制裁強化を協議。
Lublinはポーランド南東部にある。