2012/05/03

7月31日。1986年。杉原千畝(ちうね):ユダヤ人6000人を救った外交官

杉原千畝(ちうね、1900-1986)  goo.gl/VZxrF
地図デース。
goo.gl/3oIMF
独ソ不可侵条約(1939年)によってリトアニアは、ヒトラーからスターリンへプレゼントされました。

このころユダヤ人の大量虐殺が始まっており、リトアニア在住のユダヤ人は、国外への脱出を切望していました。

たいがいの外国領事館は、リトアニアから撤退していました。

日本の領事館は業務を続けていた。

しかし当時の日本は、ドイツと軍事同盟を結んでおり、ユダヤ人へのビザの発給をしてはなリませんでした。

杉原千畝(ちうね)領事は、本国の訓令に反して、人道的立場からビザを発給し6000人ものユダヤ人を救いました。

しかし、杉原領事は、訓令違反のかどで免職となりました。

ソ連が解体し、リトアニアが独立すると、杉原千畝の快挙を記念したスギハラ通りができ、またイスラエル政府は、杉原氏を顕彰しました。

こうしてナチスヒットラーに抵抗した杉原千畝(ちうね)の名誉回復が、日本では46年後の1991年になってやっとおこなわれました。

外務省は杉原千畝の遺族に謝罪しました。
しかもそれは外圧によってでした。

ソ連が解体することがなければ、杉原千畝の名誉回復はなされなかったでしょう。

日本の大きな組織の中では、傍流を歩く人は、このように無視され続けることがよくあリます。

【cf.】小室直樹 『日米の悲劇』、光文社

世界ふしぎ発見!杉原千畝  【46+】

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・ニシェリ(B. Gehashra Nishri)はイスラエルの宗教大臣になりました。

・レオ・メラッドは、少年の頃家族とともに日本を経て、アメリカにわたりました。
シカゴの商品取引所を世界有数の証券取引所に育て上げました。

杉原千畝記念館

屋根の上のバイオリン弾き』ロシアにおけるユダヤ人迫害の物語り