秋山真之(さねゆき) 。日本海海戦の天才参謀。日露戦争勝利の立役者。Akiyama Saneyuki。2月4日没。

秋山真之(さねゆき) 。日本海海戦の天才参謀。日露戦争勝利の立役者。Akiyama Saneyuki。2月4日没
秋山 真之

秋山真之 

・1868年4月12日。松山市~ 1918年2月4日没。50歳

「私が1日なまけると、日本がつぶれる」:日露戦争(1904-1905)

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秋山真之(さねゆき) は、
司馬遼太郎の『坂の上の雲』の主人公
です。


1897年( 明治30年 )、
秋山真之は日本公使館付留学生として、
ワシントンに派遣されます。
29歳でした。
2年半滞在します。 


海軍戦略論の大家マハン大佐を訪れ
必読書などについて教えを請います。
【※】マハン Alfred Mahan:
軍人、軍事学者、歴史家、戦略研究者。アメリカ史学協会会長、『海上権力史論』


秋山真之は、ワシントンで古今東西の
軍事・軍略の膨大な書籍文献を読破します。

    「私が1日なまけると、日本がつぶれる」

との心境での猛勉でした。

背後には、自分が国家を背負っているという
強烈な使命感がありました。


1898年米西戦争が始まります。

秋山真之は、米海軍の戦いをメキシコ湾で観察する機会を得ます。
捕虜になったスペイン軍の将校からも、詳細を聴取します。

この目撃・体験を論文並みの調査報告書として残しています。


1899年には半年間 米国艦隊の旗艦に乗り込み、
名将サムソン長官のかたわらで、艦隊の司令術を学びます

31歳の時です。


考えられない僥倖(ぎょうこう)です。

     「私がおじけづけば、日本が潰れる。」


鬼気迫る切迫感が奇跡を生み出したようです。


◇                    ◇                    ◇

日露戦争は、5年後の
1904年(明治37年)
に始まります。
【※ 受験】1904  日露戦争   <行くわよ ロシアへ  日露戦争>

一身に日本を背負った秋山真之は、日本海海戦で有名な電報を打ちました。

    「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」

    今日は好天です。(∴ 出撃可能です。)
しかし、波は高いです。(小型の艦艇は出撃できません。
∴  主・力・艦・の・み・で・出・撃・し・ま・す!!)



秋山真之は、正岡子規の親友で一時は文学者を志しました。
名文、むべなるかなです。
【6分】秋山真之   愛媛CATV 

電文  【画像】
敵艦隊見ユトノ警報ニ接シ聯合艦隊ハ直チニ出動、コレヲ撃滅セントス。
本日天気晴朗ナレドモ浪高シ


◇                    ◇                    ◇

このころの日本の輸出品目は、

    生糸、綿織物、石炭、絹織物、銅

でした。

工業製品が何もない国でした。

世界のどの国もロシアが勝つ方にかけました。

日本が勝つと思ってた国は、ありませんでした。


◇                    ◇                    ◇

秋山真之の猛勉と体験がなかりせば、

日露戦争で、

    日本は消滅してしまっていたであろう

と言われています。





秋山真之『天剣漫録」』30条の語録
「家康は三河武士の赤誠と忠勤とに依りて天下を得たり」







【13分】 日本海海戦 




◇                    ◇                    ◇

【名言】  <天国の秋山真之>

「日本は資源小国ではない。
資源は地下にではなく、
気概のある国民有志の頭脳のなかにある」


【cf.】
島田謹二『アメリカにおける秋山真之』
司馬遼太郎『坂の上の雲』
寺島実郎『二十世紀から何を学ぶか』