江戸城を守る5寺社
江戸時代には、江戸城を5寺社が守っていました。
徳川家康への天海僧正の助言によるものです。
川越・喜多院の住職天海(1536-1648)は江戸の町を、
風水
神道
仏教
儒教
陰陽道(おんみょうどう)
呪術
民間信仰
で設計し、守りを固めました。
風水とは、環境学、地理学、天文学、哲学、宗教をあわせた快適生活学です。
風水はそのころの最新の学問でした。
(※)
20年前の医学の常識は、今の常識ではありません。
また、今の医学の常識は20年後には非常識となリます。
100年後には今の医学水準は、頭頂を最高の段階とするならば、「足のくるぶし段階」であったことになるでしょう。
ともあれ、当時の風水学は最高の科学でした。
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日本では、
西、北が陰 、
東、南が陽、
とされています。
陰が陽に、陽が陰に転化する東北(丑寅、うしとら)の方角は、邪悪な鬼が入り込む注意すべき方向とされています。
(※) 西南の未申(ひつじさる、坤)は裏鬼門です。
鬼門帯は陰陽が転化する不安定な要注意箇所です。
セミが脱皮したばかりのふにゃふにゃの状態のようなものです。
東南の向きの家が好まれるのも、鬼門と関係があるようです。
夏場の西日は嫌われますが、東南の向きの家はそれを防ぐことができます。
天海は、「東北から将軍が来ると江戸幕府は崩壊する」と予言したとの風聞が伝えられています。。
200プラス年後、徳川幕府は、江戸の東北、水戸出身の15代徳川慶喜(よしのぶ)で終わりました。
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【追記・川越関連】
・赤坂山王日枝神社は、川越から分霊したものです。
・神田神社は、大手門前(皇居前)からいまの地に天海が移しました。
・天海は寛永寺の初代貫主でした。いまの寛永寺の本堂は、川越の喜多院から移したものです。