松平信綱(のぶつな、1596- 1662、数え67歳)は、徳川家に59年にわたり奉仕しました。
3代家光、4代家綱です。
特に家光には、家光の誕生以来47年間仕えました。
徳川幕府の老中をつとめ、幕藩体制を固めました。
才知に富み、伊豆守という官職にかけて「知恵伊豆」(= 知恵出づ)と言われました。
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松平信綱は川越藩主でもありました。
川越藩第一の名君でした。
23年余にわたり藩主をつとめました。
1638年の川越大火後に、城域を倍増し、今に残る十ヶ町四門前(じっかちょうしもんぜん)という町割りをしました。
川越の城下町の整備、野火止用水の開削(かいさく)、新河岸(しんがし)川舟運(しゅううん)の開設、武蔵野新田の開発などに手腕を発揮しました。
舟運は川越に川越商人に莫大な利益をもたらしました。
また江戸の技術文化もたくさんもたらしました。
川越まつりを始めたのも松平信綱です。
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25年間、理化学研究所の理事長を務めた大河内正敏は、松平信綱と同じく大河内松平家の系統です。
明治になり、子孫は「松平」を返上しました。
平林寺のページ、松平信綱