スペイン・ポルトガルの世界分割 。トルデシリャス条約。ブラジルはなぜスペイン語でない?

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【年表】
1492年  スペインは国土回復運動により700年にわたるイスラムを駆逐
1492年  スペイン政府、ユダヤ人追放令
1492年  コロンブスのアメリカ発見
1494年  トルデシリャス条約
1549年  フランシスコ・ザビエル、鹿児島へ

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トルデシリャス条約(Treaty of Tordesillas)は、1494年にスペインとポルトガルが絶頂期に結んだ条約です。
ローマ教皇のもとで結ばれました。
西欧でない地球上のすべての領土を2カ国に分割しました。
植民地獲得戦争です。


上図の紫と緑の部分はポルトガル領です。
アラビア半島、インド洋ルートはポルトガルが独占していました。
外側はスペイン領と決められました。
ブラジル部分は、ポルトガル領です。
南米でブラジルだけがポルトガル語なのはトルデシリャス条約に由来します。

1492年、スペインは国土回復運動により700年にわたるイスラムを駆逐します。
南部のグラナダを陥落させることにより、ポルトガルとの貿易戦争に加わることができるようになりました。
1492年、スペイン政府はユダヤ人追放令を唐突に発しました。
1492年、ユダヤ人コロンブスは、大企業スペインの下請けでの航海士としてやって来ました。

征服のために先端にやって来たのは、宣教師たちでした。
中南米を征服し、植民地化するのが、正しいやり方でした。

これらの国は、今では、スペイン語、ポルトガル語を話し、カソリックを信仰しています。
マヤ文明、インカ文明、アステカ文明などは滅ぼされてしまいました。


1549年、フランシスコ・ザビエルが、鹿児島へやって来ました。
キリスト教至上主義でした。
南蛮人とよばれました。
(オランダ、イギリス人などの北ヨーロッパ人は紅毛人でした。)


黄金の国ジパングをキリスト教から守った徳川家康は先見の明があったようです。

<※ NHK官兵衛などのころのキリスト教は、今とは大違いでした。

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