ジャヤワルダナ /* wp |
ジャヤワルダナ。 鎌倉大仏脇の顕彰碑 /* |
【ジャヤワルダナの年表】Jajewardene
1906年9月17日 - 1996年11月1日
1978年- 1989年 スリランカ初代大統領
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川越にスリランカ(セイロン)料理店があります。
日本の恩人ジャヤワルダナを思い出します。
当時スリランカは英国の植民地でした。
14歳だったジャヤワルダナ少年は、港に降り立った日本の皇太子のりりしい姿を見て、また英国植民地化にあるみじめな自国を思い、「そうだ、政治家になって祖国を救おう」と決心したそうです。
1951年、44歳の若きジャヤワルダナ氏は、サンフランシスコ講和会議にスリランカ代表として出席しました。
議場でジャヤワルダナは述べました。
「日本の掲げた理想に独立を望むアジアの人々が共感を覚えたことを忘れないで欲しい」。
「憎悪は憎悪によって止むことはなく、慈愛によって止む」。
また、スリランカは日本に対する賠償請求を放棄する、とも述べました。
日本は2カ所を爆撃していました。
ジャヤワルダナ氏の会議演説は、会議の花形になり、日本の国際社会復帰の道筋になりました。
ジャヤワルダナ氏は1978年初代大統領に就任しました。
昭和天皇からは親しく厚遇を受けました。
政界引退後も日本を訪れています。
仏教関係者をスリランカに招いています。
1983年、スリランカの首都をコロンボから新都へ遷都するに当たり、ジャヤワルダナの姓をも絡めてスリジャヤワルダナプラコッテ(輝ける勝利をもたらす町・コッテ)に変えました。
1989年、昭和天皇の大喪の礼には、夫人とともに参列しました。
1996年、死去にあたり、献眼、角膜を提供しました。
「右目はスリランカ人に、左目は日本人に」が遺言でした。
鎌倉大仏の他に、八王子の雲龍寺、長野の善光寺には、顕彰碑や銅像が建立されています。
日本は、恩人を忘れないでおきたいものです。
スリランカは、九州の1倍半ですが、世界遺産を8ツ誇っています。
自由にしてかつ独立した日本の復活を望んだジャヤワルダナ氏
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