三十六歌仙額 岩佐又兵衛筆 /* |
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NHK「軍師官兵衛」には、
父・荒木村重が信長に背いたため、母ら600人以上を殺され、自らは絵師となったという岩佐又兵衛が出てきます。
川越・仙波東照宮の「三十六歌仙図額」額絵を描いたのは、岩佐又兵衛です。
岩佐又兵衛は、織田信長の息子・信雄に仕えるなどした後、芸術の道を歩む事になります。
狩野派、土佐派、墨画などの絵を吸収し、独自の画風を確立し、
浮世絵をつくった男とよばれています。
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1638年(寛永15年)、川越大火で喜多院、仙波東照宮は焼け落ちました。
山門だけが今に残っています。
3代・徳川家光は、103歳の天海僧正をおもんばかって、将軍直々に、4月上野の東叡山を慰問します。
6月には、喜多院の復興に着手します。
また、岩佐又兵衛に仙波東照宮に「三十六歌仙」の絵を奉納するように手配しました。
※
明治19年(1886年)仙波東照宮の宮司が絵師・岩佐又兵衛という銘があるのを発見しました。
これにより謎に包まれていた又兵衛の伝記が明らかになりました。
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仙波東照宮の「三十六歌仙図額」額絵は、日本に現存する歌仙額のうち、唯一重要文化財に指定されています。埼玉県立博物館に保存されています。
【cf.】
辻 惟雄『岩佐又兵衛―浮世絵をつくった男の謎』文春新書
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http://abc0120.net/forum.php?mod=viewthread&tid=4918
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