江戸城→ 日光→ 北極星
京都~伊勢=江戸~日光
川越市の仙波東照宮。喜多院の境内に。【地図】
- 日光東照宮は江戸城の真北に位置します。
江戸の街からは日光の男体山(なんたいさん)が見え、男体山の真上に北極星が輝きます。
無数の星は北極星をめぐります。 - 北極星は宇宙を支配する神です。
家康(1542-1616)は、日光山に神としてまつられることを遺言しました。
1616年に死去しました。
神となり、江戸を守るためです。
「北極星=家康」のしかけをつくったのが天海です。 - ----------
- 天海(1536-1643、108歳)は、1617年久能山(くのうざん)【地図】に埋葬されていた家康の遺骸をみずから掘り起こし、自分が住職をしている川越の喜多院で実に4日間もの大法要を営み、日光におさめました。
ご神霊の行列は1300人にも及びました。
葬儀の導師をつとめた天海はこのとき80を越えていました。
- 日光の「千人武者行列」【画像】は、久能山から日光へのこのときの行列を模したものです。
- 日光の「千人武者行列」【画像】は、久能山から日光へのこのときの行列を模したものです。
- 天海は、東照宮を、皇室を鎮護する伊勢神宮とおなじ地位にするために、京都~伊勢と同じ距離のところに配しました。
伊勢神宮の天照大神(あまてらすおおみかみ)に対して、家康を「東照大権現(とうしょうだいごんげん)」としました。
東の天照(あまてらす)という意味です。
権現とは「仮の姿」ということで、ほんとは仏様だが、いまは仮に「東の天照大神だ」ということです。 - 家康をまつる東照宮は、全国に130ほどあります。
川越の仙波東照宮が、日光東照宮、久能山東照宮とともに三大東照宮とよばれているのは遺骸のコースが、久能山→川越→日光だったからです。 - 1631年、天海は96歳にして家康の17回忌の導師をつとめました。
100歳の時にも日光山で法事をつとめています。 - 101歳の時、日本初の大蔵経(だいぞうきょう)を活版印刷する計画を立てました。
『大蔵経』とは仏教経典の全集です。
全6323巻の大事業でした。 - 天海は108歳で往生し、家康と同じく、日光に埋葬されました。
慈眼大師(じげんだいし)の号がのちに朝廷から贈られました。
この追号(ついごう)は、5人目700年ぶりの出来ごとでした。 - 天海蔵【画像】には、天海の蔵書1万冊が収められています。