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福島県・喜多方市で 5ミクロンの微生物に挑戦

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【 3-1 】(福島民報社、文・馬場憲明、写真・丹治次男)引用編集 飯豊山登山を前に、土の採取法を打ち合わせる隊長の志田公司さん(中央)ら =福島県喜多方市 「あの山にある宝物で地域を元気にしたい」。 ラーメンのまちとして知られる福島県喜多方(きたがた)市の会津喜多方商工会議所総務係長、高久大志(たかく・だいし)さん(35)は、真夏でも白い雪の残る飯豊山(いいでさん)(2105メートル)を指さした。  ▽託す大きな夢  高久さんのいう「宝物」は肉眼では見えない。 大きさは5ミクロンほど。 顕微鏡でしか確認できない酵母、乳酸菌などの微生物だ。 極小の生き物に、地域おこしの大きな夢を託す。 みそ、しょうゆ、日本酒など醸造品の新開発プロジェクトが進んでいる。  喜多方市は古くから醸造業が盛んだった。 市内には醸造蔵、店蔵、座敷蔵など4千を超える蔵 がある。 かつては「蔵を建てて初めて一人前の男」と言われたほど。 だが、日本人の食生活の変化や景気低迷などで醸造品の売り上げも伸び悩み、商店街には空き店舗が目立つ。 今年3月発表された公示地価では商業地、住宅地ともに、県内で下落率が最大だった。  「微生物でまちおこし」という大胆な発想の生みの親は、人事交流で市商工課にいた経済産業省競争環境整備室総務係長、荒川洋(あらかわ・ひろし)さん(35)。 「昨年の夏、地酒を酌み交わし、議論していた時に思いついた」と振り返る。  話を聞いた市マーケティング課主査、石田智久(いしだ・ともひさ)さん(40)と、高久さんは商工会議所が主体となり取り組むことを計画。 国の「地方の元気再生事業」に採択された。  ▽青や緑の酒も  「微生物ハンターを結成し、役立つ酵母や乳酸菌を探そう」。 取り組みは決まったが、3人ともこの分野は素人。 県ハイテクプラザ副所長、桑田彰(くわだ・あきら)さん(57)や、福島大理工学群准教授、杉森大助(すぎもり・だいすけ)さん(42)に支援を要請。 醸造業者も巻き込み、昨秋から勉強会を重ねた。 県内の小野町出身の元東京農大教授で発酵学者、小泉武夫(こいずみ・たけお)さん(66)を招き、シンポジウムも開いた。  微生物ハンターには微生物研究企業の社員、大学生、醸造業者ら6人が応募。 喜多方市の歯科医、志田公...

島根県大田市の石見銀山で 空き家を社員寮に

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石見銀山が記された古地図を囲む「中村ブレイス」の社員の家族。中央は中村俊郎さん=島根県大田市 【2-3】(山陰中央新報社、文・引野道生、写真・小滝達也)引用編集  アジアの鉱山遺跡で初の世界遺産に登録された島根県大田市の石見(いわみ)銀山遺跡。 山あいにある同市大森町の江戸時代からの町並み保存地区に、ゆったりした時が流れる。  「すごい」「面白い」。修復した武家屋敷で、上村亜子(かみむら・あこ)さん(34)と長女の菜(さい)さん(9)ら、同町に本社を構える義肢装具メーカー「中村ブレイス」の社員の家族が歓声を上げた。  社長の中村俊郎(なかむら・としろう)さん(61)は16世紀、欧州製のアジアの古地図に石見銀山が記されていることを説明。 「世界史の中で銀山が果たした役割と魅力を子どもたちに語り継ぎたい」とほほ笑んだ。    ▽空き家を社員寮  大森町の人口は408人。 65歳以上の住民が38%を占める。 中村さんは1996年から島根県などの世界遺産登録運動を民間の立場で強力に支援し、社員65人とともに文化財を保全活用するまちづくりの原動力を担う。  本社に隣接する石見銀山資料館の理事長を務め、老朽化した資料館を大改修。 過疎化で空き家となり、廃屋の危機にあった古民家を次々と購入。 社員寮や喫茶店として30軒を再生し、伝統ある町並みの保存を果たした。  さらに、石見銀で作られた古丁銀をはじめ、石見や佐渡などを描いた鉱山絵巻など貴重な資料100点を収集所蔵。 県外に流出した古文書を里帰りさせ銀山の歴史的な価値をアピールしてきた。  「明治生まれの亡父からもらった夢を大切にしたかった」。 中村さんは振り返る。 古里への愛着は、同資料館館長を務め「世界の銀山」だと価値を確信していた父・章一(しょういち)さんの思いと重なる。  ▽小学校維持に力  中村さんは米国で義肢装具士の修業をして帰郷、35年前に一人で起業。 世界8カ国で特許を得たシリコーンゴム製の靴の中敷きを始め、乳がん患者の人工乳房などを製作。 確かな技術と仕事ぶりが評価され、顧客は国内外に拡大。 2008年度の年商が8億5千万円となる企業を築いた。  地域に根を張り、病や事故に遭った人々を支える心のこもった「ものづくり」にこだわった仕事への姿勢は、ま...

祇園では、クギ1本打つのも事前協議が

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【 2-02 】(京都新聞社、文・沢田亮英)引用編集 祇園祭の神幸祭でにぎわう花見小路=京都市東山区 石畳の道が雨にぬれた7月17日夜。 お茶屋が並ぶ東山区の花見小路は祇園祭の神幸祭(しんこうさい)でにぎわい、みこしを担ぐ「ホイット、ホイット」の掛け声が響いた。  花見小路は、四条通を挟んだ北と南で街の景色がくっきりと異なる。 ビルが林立するネオン街の北側とは対照的に、南側は明治からのたたずまいを残す町家が連なり、花街の情緒豊かな町並みと暮らしが今も息づく。    ▽改修にも基準    「学園が土地を持っているのが、町並み保存で大きな要素になっている」と芸妓(げいぎ)や舞妓(まいこ)が芸事を学ぶ学校法人「八坂女紅場学園(やさかにょこうばがくえん)」の津田健次(つだ・けんじ)事務長(79)は話す。 景気に左右されて取引される私有地の集まりでなく、お茶屋のおかみたちで運営する学園が一元的に所有する「 地域共有 」が、まちづくりに大きな役割を果たしている。  学園の所有地は、京都市が1999年に 歴史的景観保全修景地区 に指定した祇園町南側地域約6ヘクタールのうち、花見小路沿いを中心とした約2・8ヘクタール。 明治初期に京都府が地元に払い下げた経過があり、今は学園が約200区画をお茶屋や各店舗に貸している。 借地人とは町並み保存の合意書を学園と交わしており、建て替えや改修は学園に申請し「高さは2階建てが基本」など27項目を定めた「 意匠基準 」に合わせなければならない。  学園が基準をつくったのは1994年。 バブル経済で相続税が負担できずにお茶屋を廃業するケースが増え、そこに開発の波が押し寄せる事態への危機感がきっかけだった。 その後、京都市の主導で景観整備が進められる動きが出たが、住民たちは96年、祇園町南側地区協議会を設立し「 クギ1本打つのも事前協議がいる 」というほど細かな景観基準をつくり、新規出店業種の規制、防火の取り組みも進めた。 市も条例改正や規制緩和で景観保全を後押しした。    ▽空き家はゼロ    同協議会の杉浦貴久造(すぎうら・きくぞう)会長(75)は「南側は見苦しくて、どないもならん建物はなくなった。 規制はひとしきり終わり」と振り返り、今は耐震強化のため、建物の内部にまで目を光らせる。 ...

長野県白馬村 外国人が経営

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【 2-01 】(信濃毎日新聞社、文・黒沢大生、写真・毛利英俊)引用編集 和田野区の区長として活躍するダン・マットさん(中央)=長野県白馬村 「おはようございます」「ご苦労さま」―。 目の前に北アルプス・白馬連峰が広がる長野県白馬村。 良く晴れた6月、道路沿いで花の植え替えに汗を流す住民たちのあいさつが飛び交う。 その輪の中に、軽トラックを運転しながら笑顔で声を掛ける外国人青年がいた。  英国人のダン・マットさん(33)。 1998年、長野冬季五輪の競技会場にもなった白馬八方尾根(はっぽうおね)スキー場のゲレンデ近くにある同村の和田野(わだの)区で、4月から「区長」を務める。 地方で住民の自治組織の代表を外国人が務めるケースはまれだ。  ▽自然守る手伝い  マットさんは英国スコットランド出身で独身。 外国で仕事をしようと、会社勤めをやめて2000年に来日。 長野県松本市などで英会話講師を始めた。 「スノーボードが楽しめるし、森そのものの中で生活できる。 村の規模も古里に似ている」と和田野区が気に入り、06年に移住。 建物を取得してロッジを開業した。  地区の行事や作業にも積極的に顔を出した。 「似た組織が古里にあった」といい、抵抗感はなかった。 「自然豊かな地区を守る手伝いをしたい」と、区でつくる景観育成住民協定を見直す委員会にも加わった。 そんな姿に周囲から「和田野の将来を真剣に考えてくれる人」と推され、ことし4月、区長に選ばれた。  百軒ほどある和田野区の住民の多くは、ホテルやペンション、貸別荘を営む。 五輪開催効果もあり、白馬村内はスキー、スノーボードを中心に外国人客が増加。 08年に宿泊した外国人は4万9千人を超え、04年の約5倍に達した。 和田野区では、約60ある宿泊施設の2割ほどはマットさんら外国人の経営となっている。    ▽開発ルールも協議    外国人はスキーシーズンが終わると帰国したり、ほかの地域へ移ったりするケースが多い。 このため、地域づくりを日本人経営者らと話し合う機会は少ない。 だが、地域の発展には冬だけでなく通年で誘客する仕掛けが求められる。 区内では、外国資本による分譲ホテル開発構想も浮上した。 景気低迷で取りやめになったが、こうした大規模開発への対応も課題だ。...

ジュンサイ日本一の町動く 秋田県三種町(みたねちょう)

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【1-1】(秋田魁新報社、文と写真・斎藤将典)  小舟に乗ってジュンサイを摘み取る女性たち。町内の初夏の風物詩だ。2012.  鮮やかな緑色、つるっとした食感。 見た目が涼しげで、喉ごしも爽やかなジュンサイは、涼を感じさせる食材として、料亭や高級旅館などで重宝されている。 生産量で全国9割のシェアを誇るのが秋田県三種町(みたねちょう)だ。  だが日本一の産地は近年、強い危機感を持つ。 昨年、同町の生産量は482トン。 ピークだった1991年の1250トンに比べ4割以下に落ち込んだ。 「このままでは町からジュンサイが消えてしまうかもしれない。 打つべき手は今打たなければならない」。 三浦正隆(みうら・まさたか)町長(59)は力を込める。  現状を打破しようと昨年、町や町商工会、JAなど14機関が「じゅんさいの里活性化協議会」を設立。 5年後のジュンサイ販売額を、2009年度比で2・5倍の10億円に引き上げるプロジェクトを始動させた。  町ぐるみの取り組みが生んだ成果の一つが、新たなご当地グルメ「三種じゅんさい丼」だ。 産地なのに気軽に味わえる料理がない矛盾を解消しようと、町内の飲食店7店が通年提供の新メニューとして共同開発した。  刻んだ梅干しをまぜた酢飯の上に、しょうゆ漬けのジュンサイをたっぷりくるんだ薄焼き卵を載せる一品。 さっぱりとした味わいが特徴だ。 ご飯と一緒に食べるという、今までなかった食べ方が評判を呼んでいる。  平均年齢70歳といわれる摘み手の後継者育成、安価な中国産に対抗する「三種ブランド」の確立など、打つべき対策は多い。 日本一の産地の挑戦が続く。 *  摘み取り体験も格別  小舟に乗り、沼の中の若芽を手作業で摘み取る。 5~8月の収穫期に見られる光景は昭和初期から変わらない。 地元での呼び名は「食べるエメラルド」。 町内四つの沼で摘み取り体験ができ、自分で採ったジュンサイの味はまた格別だ。

再興、ジーンズストリート 聖地に活気 倉敷市児島

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【 5-3 】(山陽新聞社、文と写真・松原悠)引用編集  地場メーカーの出店が続く児島ジーンズストリート。2012  はき古されたジーンズが秋風に揺れる。 通りの上からつるされた歓迎の"アーチ"に、観光客が思わずカメラを向ける。  岡山県倉敷市南部、児島地区の児島ジーンズストリート。 かつてはにぎわいの中心だったが、シャッターが目立つようになった味野(あじの)商店街を、地場ジーンズメーカーの販売店集積により再興する取り組みが進んでいる。  江戸時代から繊維産業が息づく児島地区は1960年代、国内で初めて生産に乗り出した「 国産ジーンズ発祥の地 」。 今では関連業者がひしめく一大産地に成長した。  ストリート構想は2009年末に実現へと動きだした。 メーカーや商店街関係者、空き店舗対策を模索していた児島商工会議所などが推進協議会を組織し、店舗誘致やジーンズの"聖地"としてPRに力を入れてきた。  当初の3店(雑貨1店含む)から17店(雑貨、飲食各3店含む)へと順調に増え、ジーンズの写真をラッピングした自動販売機もお目見え。 取り組みを後押ししようと、市の幹部と議員がデニム姿で論戦に臨むジーンズ議会も恒例になった。  ストリートの一角に店を構える「桃太郎ジーンズ児島味野本店」によると、08~10年度に5千~7千人台で推移していた来店者数が、11年度は1万9千人台へと大幅増。 12年度はさらに増える見込みという。  同推進協議会の真鍋寿男(まなべ・ひさお)会長(58)は「店舗数、来客数のさらなる増加と両輪で、起業を夢見る若者らを呼び込み定住人口も増やしたい。 ストリートを核に、児島地区全体のにぎわいを目指す」と夢を描いている。 * 歴史が構想に厚み  干拓で平野を広げた児島地区。 塩害に強い綿花の栽培 から繊維産業が興り、真田ひも、足袋、学生服と変遷する中で蓄積した技術が、ジーンズへの転換を可能にした。 こうした歴史の裏打ちが、ストリート構想に厚みと“物語”を与えている。 デニム:厚地の布地

工業地帯を観光クルージング 兵庫県尼崎市

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【 5-2 】(神戸新聞社、文・加藤正文、写真・立川洋一郎)引用編集 開催されたナイトクルーズ。工業地帯の風景がムードを醸し出す=兵庫県尼崎市。2012  工業地帯を縦横に走る運河に船が進む。 工場、タンク、高速道路―。 次々と広がる景色に歓声が上がる。 恒例の「運河クルージング」だ。  企画・運営の中心は「尼崎南部再生研究室」。 公害で傷んだ地域の再生をと2001年、学生や会社員、大学教授、市職員らで結成。 「街に軸足を置く」をモットーに、「地ソース」や銭湯、「尼イモ」など「知られざる地域資源」を求めてきた。  「鉄」のまちと言われ、工業が盛んだった兵庫県尼崎市。 戦後は高度経済成長を支える「工都(こうと)」として栄え、多くの企業が集積した。 だが、臨海部を中心とする火力発電や重化学工業に加え、基幹道路の排ガスは深刻な大気汚染を引き起こした。  それでも「公害、人口減、衰退...。そんなイメージを覆す魅力が尼崎にある」と研究員の綱本武雄さん(36)=尼崎市。  水上からは、臨海部の変容が見て取れる。 苦境にあるパナソニックのプラズマパネル工場、荷揚げや積み出しのために船が着岸する岸壁、パナマ運河方式の閘門(こうもん)もある。  陸からの景色とは異なる開放感が、最大の魅力だ。 「この工場で作っているのは―」。 ガイドの説明がものづくりへの興味をかきたてる。 近年、秋のクルーズはNPO法人や企業、行政などが行う「尼崎運河博覧会」に組み込まれ、すっかり定着した。  尼崎公害訴訟が和解して11年。今も自動車の排ガス汚染は続き、クボタ旧神崎工場周辺のアスベスト(石綿)公害も深刻だ。公害問題の解決の先にあるのは、地域の再生だろう。人が住まい、交流する。足元の資源を掘り起こし、どう生かすか。マイナスをプラスに変える試みは今後も続く。(神戸新聞社、文・加藤正文、写真・立川洋一郎)  【神戸新聞】 参加新聞社 もうひとおし 逸品を発掘、販売も  兵庫は産業観光の宝庫。見学できる施設は250カ所以上と、近畿でトップクラス。尼崎市では隠れた逸品を発掘するコンペが行われ、販売する店舗もある。問い合わせは「MiAステーション」電話06(6412)2086=木曜休日。(神戸新聞社・加藤正文)

「農村力」を 多彩な講師と合宿、論議 福井県池田町

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【 5-1 】(福井新聞社、文・森瀬明、写真・横山真一)引用編集  日本農村力デザイン大学」で講師を囲み熱い議論を交わす参加者たち=福井県池田町。2012 「農村力」を 多彩な講師と合宿、論議  福井県池田町  福井市中心部から約30キロ、福井県池田町はのどかな景観が広がる農山村だ。 ここで、2泊3日の講義を年間5回行う「日本農村力デザイン大学」が開かれている。 農業者、会社員、大学生、自治体職員らが県内外から集い、議論を展開。 今秋で8期目になるユニークな学びの場だ。  「豊かな自然、先人の知恵が息づく伝承技術、相互扶助の心といった現代社会が見失いつつある貴重な価値の残る池田町こそ、人づくりの舞台になりうるのでは」。 地元住民のそんな問いかけが設立の発端になった。 農村力を「人と社会を治癒する力」と定義。 社会や自分づくりを構想(デザイン)する場として2005年に開学し、NPO法人を設けて運営している。  学ぶテーマは農と食、ライフスタイル、社会的起業など幅広い。 「地元学」を提唱する民俗研究家の結城登美雄(ゆうき・とみお)さん、哲学者の内山節(うちやま・たかし)さんら多彩な講師を招いてきた。 副学長として企画の中心となるのは、雑誌「宣伝会議」元編集長で今は池田町に住む伊藤洋子(いとう・ようこ)さん(69)。 「聴きっぱなしでなく、議論の時間をしっかり取るのも特徴」 と説明する。  有機農法でブドウを栽培してワイン造りに取り組む永沢徹(ながさわ・とおる)さん(65)=群馬県渋川市=は開学から1回も欠かさず参加。 「講師や仲間の発言、ものの見方が自分の考えを検証、補強して勉強になる。やりたいことを実現するための知恵の宝庫」と熱く語る。  第8期は10月6日に開講。 徳野貞雄(とくの・さだお) 熊本大教授らを講師に、さまざまな分野で議論が続く。 * 出会いが触媒に  自己啓発のセミナーではないし、カルチャーセンターとは全く違う。 参加者の学ぶ意識の高さには驚かされる。 「教室」の中にとどまらず、講師や参加者の出会い、交流が触媒となって今後、何かを生み出すのか、次の展開も楽しみだ。 日本農村力デザイン大学

「仙台いちご」復活へ歩み ハウス再建、宮城県山元町

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【 7-3 】(河北新報社、文と写真・原口靖志)引用編集 収穫を前に、赤く色づいてきたイチゴの実を手に目を細める菊地健さん。2012 「仙台いちご」復活へ歩み ハウス再建、宮城県山元町  ビニールハウスの中で赤く色づき始めた果実が輝く。 東日本大震災で632人が犠牲となった宮城県山元町(やまもとまち)。 「やっと、ここまで立ち直ることができた」。 50年近くイチゴの栽培に取り組む菊地健(きくち・たけし)さん(70)は、2シーズンぶりに実った粒を手に取って目を細めた。  震災の津波で約2600平方メートルのハウスは自宅とともに全壊した。 内陸部にある仮設住宅で暮らしながら、自宅敷地内にハウスを再建した。 妻みき子さん(61)とクリスマスの最需要期に向けて作業を続ける。  山元町と、隣接する亘理町(わたりちょう)は「仙台いちご」のブランドで知られる東北一の産地だった。 2010年には両町の380戸が約96ヘクタールで生産し、販売額は約33億5000万円に上った。 津波では農地、施設の95%が被害を受ける壊滅的な打撃を受けた。 今シーズンまでに栽培を再開したのは137戸の26・2ヘクタール。 少しずつ、完全復活に向けた歩みを進めている。    来年には、国の復興交付金を活用して整備する「いちご団地」(ハウス面積約35ヘクタール)の大部分が両町内に完成する予定だ。 亘理町の99戸、山元町からは52戸が参加し、大型ハウスに腰の高さで作業ができる「高設ベンチ」を設置し栽培する。 「みやぎ亘理農協」の担当者は「効率よく、粒のそろったイチゴが育ってほしい」と期待を寄せる。  イチゴ栽培再開に向けては、両町に国内外から大勢のボランティアが駆け付けた。 連日数十人、延べ1万人近くの力を借りたという菊地さんは「懸命に働くボランティアの姿を見て再起を決意した。 1年生の気持ちになってやり直す」と力を込めた。

秋サケ稼働  漁場復旧 岩手県・陸前高田市

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【 7-2 】(岩手日報社、文・向川原成美、写真・大和田勝司)引用編集 海から起こした定置網で勢いよく跳ねる秋サケ。漁業者はひた向きに漁に励む。2012  岩手県主力の秋サケ漁は、東日本大震災を乗り越えて2年目の漁期を迎えている。 津波で甚大な被害を受けた定置網は、1年8カ月余りで7割まで復旧した。 今シーズンは残念ながら不漁で、網の中で躍るサケは少ないが、漁業者は「浜の復興」を信じて前に進む。  「漁業が寂れてしまったら、地域の復旧も復興も成り立たない」  陸前高田市の「広田湾漁協」(佐々木戝(ささき・たから)組合長)が運営する定置網の統括役、大謀(だいぼう)を務める菅野源司(かんの・げんじ)さん(63)は話す。 決意を胸に、仲間と三陸の海に繰り出す。  同漁協の定置網は同市・広田半島沖の仁位達(にいたつ)、椿島、黒崎の3漁場で漁を行ってきた。 津波で網やワイヤなどの漁具、漁船4隻のうち3隻が被災。 惨状に戸惑いながらも、漁業者は港周辺に散乱する網を回収した。  昨冬までに仁位達と椿島の2漁場を復旧させ、今年11月には黒崎漁場も再開した。2年ぶりにフル稼働となった今季。 「これまでの分を取り返す」。 乗組員25人の意欲は十分であっても、肝心の漁獲が振るわない。  岩手の秋サケ漁は、各地のふ化場で稚魚を放流し資源を維持している。 ただ、漁獲量は1996年度の約7万トンをピークに減少。 特に近年は不漁が続く。 今季の漁獲量は震災前4年間の平均の半分以下だ。 漁獲不振は「回帰資源の減少」が要因とみられている。  晩秋から12月ごろにかけてが秋サケ漁の最盛期。 銀りんの水揚げに各地の浜は活気づき、水産加工所も繁忙期を迎える。 漁の「再建」が水産復興の鍵を握っている。  「全国からの応援でここまで復旧することができた。 不漁でもあきらめない」と菅野さん。 今日も荒波に立ち向かう。

イチゴ煮、地元食材で健在 青森県・階上町(はしかみちょう)

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【 7-1 】(デーリー東北新聞社、文・川守田将和、写真・大粒来仁)引用編集  「初めて食べたお客さんに『こんなにおいしいものがあるんだ』って感激する人もいるの」と話す階上町(はしかみちょう)の平戸タイさん。  青森、岩手両県境の太平洋沿岸に伝わる郷土料理「イチゴ煮」。 ウニとアワビをふんだんに使ったうしお汁で、お盆や年末年始、お祝い事などのハレの日には欠かせないごちそうだ。  「イチゴ煮の里」を掲げる青森県階上町(はしかみちょう)の民宿食堂「はまゆう」では、1977年の創業時から、看板メニューとして地元産の食材を使ったイチゴ煮を提供している。 リピーターも多く、20年来通う客もいるという。  切り盛りするおかみの平戸(ひらと)タイさん(69)は「震災後、常連さんたちが心配してくれて、店をやってて良かったと思いましたね」と目を細める。  東日本大震災の津波で、階上町では漁船の約半数が流失し、ウニ、アワビの種苗生産施設を含む漁業関連施設の多くが被害に遭った。 イチゴ煮の主役であるウニとアワビも浜に打ち上げられたり、沖合に流されたりした。  漁港のすぐそばにある店には数メートル手前まで津波が押し寄せた。 幸い、店舗に大きな被害はなく、落ち着きを取り戻した約2週間後に営業を再開したが、三陸沿岸の被害の深刻さから、被災したと思われて客足が途絶えた。 ウニの仕入れ値は例年の倍に跳ね上がり、苦しい経営を強いられた。  それでも「看板料理は外せないし、この町で店をやっている以上、守っていかなきゃ」と、値段を据え置いたままメニューを提供し続けてきた。  現在、食堂は冬季休業中だが、民宿には岩手県沿岸部で進む復旧・復興工事の関係者が宿泊し、忙しい日々を送る平戸さん。 「一日も早い復旧に向け、頑張ってほしい」との思いを強める。 *  「イチゴ煮」はウニを野イチゴに見立てて、名付けられたと伝えられる。 ウニとアワビから染み出たうま味を、塩と酒で整える昔ながらの作り方を守り続ける平戸さんの一杯は、シンプルながらも、磯の風味を最大限に引き出している。

「オム+カツ」に地元の味 越前市民が後押し

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【 11-3 】(福井新聞社・岩渕善郎)引用編集  地産地消の「マイルイ風ボルガライス」をほおばる日本ボルガラー協会の波多野翼会長 「オム+カツ」地元の味 市民後押し、人気に火 オムライスに豚カツをのせ、ケチャップベースのソースをかけて味わう福井県越前市のご当地グルメ「ボルガライス」。 つい最近まで市民の間でも認知度は低かった。 ボルガライスを応援することで地域を盛り上げようと、市民グループが「日本ボルガラー協会」を発足させたことで、にわかに人気に火がついた。   ボルガライスは30年以上前から市内の飲食店で出されるようになったが、名前の由来、発祥の店などは謎のままだ。  現在、洋食店や喫茶店、そば屋など計19店が提供している。 ケチャップがベースのソース、卵の焼き加減などは店ごとのオリジナルで、違った味を楽しめるのも特徴。厚焼き卵とカツを挟んだ「ボルガサンド」など、派生メニューも続々登場している。  同市家久町(いえひさちょう)の洋食店「マイルイ」は、県外客からの要望もあり「マイルイ風ボルガライス」を始めた。 地元産の鶏卵や豚肉、福井発祥のコシヒカリといった地元食材にこだわり、オリジナルのケチャップごはんをふわふわの卵で巻くなど、洋食店ならではの味を表現している。  日本ボルガラー協会は2010年3月に発足した。 ボルガライスの提供店舗をホームページで紹介するなどPR活動に余念がない。 目をつけた大手コンビニが今年1月から2週間、全国販売したところ、期間中の弁当売り上げで1位に輝いた。  自ら「ボルガチョフ」と名乗る同協会会長の波多野翼(はたの・つばさ)さん(28)は「協会はあくまでもきっかけづくりで、市民が盛り上げてくれている。越前市に食べにきて、地元の人とふれあいながら味わってほしい」と話している。 *  「できることを継続してやろう」(波多野翼(はたの・つばさ)・日本ボルガラー協会会長)という息の長い活動は、単発的なイベントにとどまらず、 市民を巻き込んで広がりを見せている。 派生メニュー、関連商品も開発され、まだ“伸びしろ”も十分ある 今後も目が離せない。

屋台村、地域の夢託す 高崎市「高崎田町屋台通り―中山道恋文横丁」

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【 11-2 】(上毛新聞社、文と写真・小沢宜信)引用編集 入り口に取り付けられた大きなのれんが、高崎田町屋台通りの目印。2013  群馬県高崎市の中心街に屋台村「高崎田町屋台通り―中山道恋文横丁」が2009年12月にオープン、間もなく3年半を迎える。 「まちなか」のにぎわいの復活や地元食材を使った地産地消の促進、起業家支援など、さまざまな思いが詰まった場所。 ワインバーや韓国料理、焼き鳥といった多彩な屋台は、幅広い世代の人気を集めている。  田町通りに面した約950平方メートルの敷地に、調理場やコの字形カウンター、客席9席を配した約10平方メートルの「屋台」が20軒並ぶ。 当初、営業を始めたのは8軒だったが、現在は15軒に増加。 残る屋台も店主を募集中だ。 周辺の既存店からは「自分の店の客足も増えた」との声が上がり、波及効果も広がる。  屋台村は、高崎青年会議所のメンバーら有志が「LLP(有限責任事業組合)高崎食文化屋台通り」を結成して運営。 民間から資金を集め、LLPに運営資金を提供するファンド会社も同時に設立した。 力を合わせて、地域経済を後押ししたいとの願いがこもる。  それだけに、将来の独立を考える起業家支援も、屋台村の重要な役割の一つだ。 オーナーに雇われた店長が店舗経営の"修業"を積み、独立したケースも生まれている。  地元食材を使った料理を、1品以上提供することも共通ルール。 LLP代表の原寛(はら・ひろし)さん(39)は「ここへ来れば群馬の食材に出合えるというのが、スタート時からのコンセプト」と説明する。  「地元食材にもっと光を当てたい」と、原さんの夢は広がる。屋台で新鮮野菜を味わったことをきっかけに、産地の山間部に足を運んでもらえば観光にも貢献できる。食材の販売ルート開拓と合わせ、新たな目標を見据えている。

ウミネコ飛び交う八戸市・蕪島(かぶしま) 「三陸復興国立公園」の玄関に

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【 11-1 】(デーリー東北新聞社、文・井上周平、写真・松橋広幸)引用編集  観光客を歓迎するかのようにウミネコが飛び交う蕪島。 三陸復興国立公園の北の玄関口となる。2013  青森県八戸市にある国の名勝、種差(たねさし)海岸の最北端に位置する蕪島(かぶしま)。 間近でウミネコを観察できる国内唯一の繁殖地で、1922年に国の天然記念物に指定された。 それから90年余。 蕪島は、5月に創設する「三陸復興国立公園」の北の玄関口に生まれ変わる。 面積は約1・8ヘクタール。 かつては陸から150メートル離れた文字通りの島だったが、埋め立て工事で陸続きとなった。 頂上には弁財天をまつる蕪嶋神社が鎮座し、700年以上にわたり地元住民の信仰を集めている。  ウミネコは毎年2月ごろから飛来し始め、3万~4万羽が子育てをし、8月ごろに旅立つ。 島の上空を大挙して飛び交い、境内を所狭しと闊歩(かっぽ)する光景は圧巻の一言に尽きる。  「オアーアーアー」。 鋭い眼光に似合わない甲高くてチャーミングな鳴き声が響き始めると、市民は長い冬の終わりを実感する。  東日本大震災では、蕪島周辺にも大津波が襲来した。 だが、2週間後には市民ボランティア約300人が泥やがれきの片付けを行い、元の美しい景観を取り戻した。  蕪島は、三陸復興国立公園の主要プロジェクトで、福島県相馬市まで続く長距離歩道「みちのく潮風(しおかぜ)トレイル」の出発点にもなる。 市はこうした動きを観光振興につなげようと、島の周辺に芝生公園や道の駅を整備する計画だ。  蕪嶋神社の野沢俊雄(のざわ・としお)宮司(62)は「ウミネコが人間と近しいのは、地元住民が長年、信頼関係を築いてきたからこそ。 全国の観光客を迎えるのに最適の地だ」と胸を張る。 三陸復興国立公園 蕪島 八戸市

野間馬(のまうま)をシンボルに 今治市が観光に活用

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【 13-3 】(愛媛新聞社、文と写真・野田貴之)引用編集  日本最小の在来馬、野間馬の乗馬を楽しむ騎馬隊キッズの子どもたち  一時は絶滅の危機にひんした日本最小の在来馬、野間馬(のまうま)。 愛媛県今治(いまばり)市の「野間馬保存会」(大沢譲児(おおざわ・じょうじ)会長)が、1978年から保存活動に取り組んでいる。 保存会が運営する「野間馬ハイランド」(今治市野間)では現在、54頭が飼育されており、愛らしい姿を見ようと休日は家族連れでにぎわう。  野間馬は体高120センチ以下で、在来馬8種の中で最も小さい。 江戸時代に松山藩の野間郡(現今治市)で農耕馬として飼われていたが、農業の機械化などで60年前後には市内から姿を消してしまった。  78年に松山市の馬愛好家が「古里の山野で育ててほしい」と、今治市に4頭を寄贈。 野間地区の有志らが保存会を設立し、畜産農家を中心に繁殖に取り組んだ。 大沢勝幸(おおざわ・かつゆき)副会長(69)は「最初の数年間は雄しか生まれず心配した」と振り返る。  83年に待望の雌が生まれ、その後は順調に数を増やした。 85年に日本馬事協会から在来馬の認定を受け、88年には今治市の天然記念物に指定された。 上野動物園(東京)などにも譲渡され、今年5月20日現在、全国で計71頭が生息している。   野間馬ハイランドは、年間約12万人が訪れる今治市内屈指の観光スポットに成長。 小学校などへの出張乗馬も行っており、情操教育に一役買っている。 大沢副会長は「昔は市民でも野間馬を知る人は少なかった。 保存活動に取り組んできたおかげでみんなに愛される存在になった」と話す。  地元の乃万(のま)小学校のクラブや、市内外の児童でつくる騎馬隊キッズが厩舎(きゅうしゃ)の掃除などを手伝う。 地域の貴重な観光資源として、野間馬を大切に育てる気持ちは次世代に受け継がれている。 *  野間馬(のまうま)は胴長短足で、サラブレッドと比べると見劣りがする。 だが、小さな子どもでも触れ合える大きさには親しみが持て、穏やかなまなざしに見つめられると、自然と心も和んでしまう。

「幻の戦車」を探せ 浜名湖で住民と専門家がタッグ

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【 13-2 】(静岡新聞社、文・矢嶋宏行、写真・岡田拓也)引用編集  「四式中戦車チト」の潜水調査。2013  旧日本軍が終戦直前、当時の最先端の技術を結集して造った「四式中戦車チト」。 完成したのは2両だけで、うち1両が終戦直後、米軍から隠すため、ひそかに静岡県の浜名湖に沈められたとされる。 その「幻の戦車」の探索プロジェクトが、同県浜松市北区三ケ日町で進んでいる。  歴史的遺産を探し出して町の活性化につなげようと始まった活動に、全国から協力者が集まり、それぞれの持つ技法を駆使して湖底に眠る姿を追い求めている。  探索を始めたのは地元の町おこし団体「スマッペ」。 事務局長の中村健二(なかむら・けんじ)さん(53)がオンリーワンの地域資源として戦車の存在に目をつけた。  探索は当初、町の若者らが中心になる予定だったが、活動を知った人や企業が、東京や三重、福岡などから次々と協力を申し出た。  調査は、これまでに10回ほど実施。 海洋調査会社や測量会社が水中探査し、データを集めた。 潜水調査をするのは、水中工事や遺跡の発掘を得意とするダイバーたちだ。 中村さんは「各分野の専門家が集まってくれた」と話す。 一方、地元の若者は協力者の活動のサポートに回った。 道具の準備や宿の紹介など裏方の仕事をこなす。  協力は探索だけにとどまらない。 活動の様子をドキュメンタリー番組にまとめて映画祭へ参加する計画や、周辺を観光地として売り出す考えもある。  「戦車を見つけるのはゴールの一つ。 戦車をきっかけに多くの人が集まったことで、活動の可能性が広がった」と中村さん。 地元住民と協力者が手を携えて、地域資源を発信する取り組みに可能性を見いだしている。 * 四式中戦車   wp

トキの里で安全なコメ、特産に 佐渡島

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【 13-1 】(新潟日報社、文・中島陽平、写真・富所真太郎)引用編集 佐渡島の玄関口、両津港の土産物店に並ぶ認証米「朱鷺と暮らす郷」  日本で唯一、国際保護鳥トキが放され、野生で繁殖している新潟県の佐渡島。 現在、自然界に約70羽が生息する。 トキをシンボルに豊かな自然や安心・安全のイメージも加えた認証米コシヒカリ「朱鷺(とき)と暮らす郷(さと)」は、島の特産に成長している。  認証米の取り組みはコメのブランド化を目指す佐渡市が中心となり、トキの放鳥が始まった2008年にスタートした。 農薬・化学肥料をそれまでの5割以上減らすことや、冬も田に水を張り生物の生息環境を守ることなどを認証要件とした。  農家にとっては手間がかかるが、生産者や作付面積は増えている。 佐渡市のまとめでは、08年に256戸、426ヘクタール。 12年は684戸、1367ヘクタールになった。 認証米の小売価格は5キロで3千円前後と、一般の新潟県産コシヒカリより高い。 それでも消費者の人気を集める。 JA佐渡によると、販売量は08年産米の約1100トンから年を追って増え、12年産米は約1650トンとなる見込みだ。    新穂(にいぼ)地区の約80アールで認証米を作る土屋穂積(つちや・ほずみ)さん(68)は「うちの田んぼにはドジョウやカエル、ミズカマキリがいるよ。 農業を通じ、自然が豊かになっていることを感じる」と誇らしげだ。 農作業中にトキがドジョウなどをついばむ姿も見かけるようになった。  認証米の取り組みが評価され、佐渡市は11年に石川県の能登半島とともに、国連食糧農業機関(FAO)の世界農業遺産に国内で初めて登録された。  過疎や高齢化など厳しい現実もあるが、佐渡市農林水産課の渡辺竜五(わたなべ・りゅうご)課長(48)は「認証米が消費者に受け入れてもらい、農家の励みになっている」と話す。 *  トキやコメに加え、日本最大級の規模を誇った金銀山に代表される歴史、能をはじめとする芸能・文化など佐渡の魅力は多彩。 食の面では寒ブリなど海の幸や多種多様な果物などもある。

名探偵気分で散策を 横溝正史ゆかりの倉敷市

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【 15-3 】(山陽新聞社、文・杉本明信、写真・大橋洋平)引用編集 金田一耕助の姿で、横溝正史ゆかりの場所を巡るファンら。2012 名探偵気分で散策を 横溝正史ゆかりの倉敷市  羽織はかまにマント、ソフト帽―。 名探偵金田一耕助(きんだいち・こうすけ)に扮(ふん)したファンが各地から集結し、金田一を生んだ推理作家横溝正史(よこみぞ・せいし)(1902~81年)の疎開宅など、ゆかりの岡山県倉敷市真備町(まびちょう)地区を巡る。 毎年秋に行われている仮装イベントだ。 行政と住民が連携し、金田一にちなんだ地域の魅力を発信している。 第2次大戦末期から約3年半、横溝は岡山県に暮らす義姉の勧めで真備町地区へ疎開した。 住民との交流や見聞きした古い因習を基に「獄門島」などを執筆。 その後も「八つ墓村」など同県が舞台の作品を出した。  倉敷市は、伝統的町並みの美観地区などで知られる観光都市。 だが最近の観光客は年間500万~600万人台で、ピーク時の6割前後にとどまる。 滞在時間の短さも悩みだ。 新たな観光開発として、市は2009年に官民でつくる実行委員会を組織。 「巡(めぐる)・金田一耕助の小径(こみち)」と名付け、特色ある行事を展開している。 仮装イベントでは、金田一の初登場作品「本陣殺人事件」の関連施設も訪ねる。 11年の横溝没後30年、12年の生誕110年には作品の登場人物らの像6体を地区に設けた。  地元住民も協力。 登場人物の衣装で野外劇を披露するなどして来訪者をもてなしている。 横溝正史疎開宅の管理組合長片岡忠(かたおか・ただし)さん(75)は「イベントなどを通じて訪れる人が増えた」と喜ぶ。  市観光課の吉田守(よしだ・まもる)課長(53)は「観光客が長く楽しめる倉敷にしたい」。 今年は金田一生誕100年。 さらにイベントを充実させる計画だ。 仮装イベントは11月23日に行う。

深谷市。映画館で街に潤いを。NPO竹石研二

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【 2015/11/8 】東京新聞、引用編集 深谷シネマの年代物の映写機を操る竹石研二さん 深谷市深谷町の旧中山道沿いにある映画館「深谷シネマ」。 わずか六十席の映画館だが、年間約百本の作品を上映し、約二万五千人の来場者を集めている。 市民団体が主体となって文化、芸術性の高い作品を中心に上映する「コミュニティシネマ」の草分けとして注目され、全国から視察が相次ぐようになった。  深谷シネマを運営するNPO法人「市民シアター・エフ」が発足して十五年。 “生みの親”の竹石研二さん(67)は「ようやく市民に親しまれる街の映画館として定着してきた。 これからも市民の暮らしと共にある映画館を目指したい」と語る。  竹石さんが深谷シネマの構想を温めたのは十七年前。 ちょうど五十歳を迎えた時期に勤め先から転勤を言い渡され、岐路に立たされた。 テーブルにメモ用紙を広げ、自分自身に問うた。 「自分の夢は何か。本当に自分がしたいことは何なのか」  竹石さんは勤め先を辞め、仲間と共に「市民のための映画館をつくろう」と署名活動を始めた。 市内から映画館が消えて三十数年。 「商店街の一角の小さなスペースでもいい。 映画館を核に、かつての街のにぎわいを取り戻そう」との思いからだった。  二〇〇〇年にNPO法人の活動を開始。 この年、第一回市民映画会を開いたほか、商店街の店舗を借りた仮設のミニ劇場に一週間で千百五十人の来場者を集めた。 〇二年には銀行の空き店舗を改装して念願の常設映画館「深谷シネマ」(五十席)を開業。 一〇年に旧七ツ梅酒造跡を改装し、移転オープンした。 リーマン・ショック直後は来場者数が三割ダウンし、赤字に転落したが、その後客足は持ち直しつつあるという。  「映画館ができると人が来て、空洞化しつつある商店街に新たな人の流れが生まれた。 映画館は街の必需品なのだとつくづく感じた」。 深谷シネマの経験を全県に広めようと、各地での上映会や小規模映画館開設の手伝いにも力を入れる。 シネマコンプレックス(シネコン、複合映画館)が主流となるなかで「県内の自治体のうち約三分の二に映画館がない」と憂いつつも「街の小さな映画館とシネコンのすみ分けは十分可能だ」と指摘する。  また、深谷シネマに足を運べない人のために年間二十回ほど、映...

町の顔は「マリコ人形」 長野県・富士見町

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【 15-2 】(信濃毎日新聞社・菅原絵里菜)引用編集 さまざまな「マリコ」を前に作業する大御堂恵子さん 長いまつげの大きな瞳に、笑みを浮かべた真っ赤な唇。 〓(順の川が峡の旧字体のツクリ)の染まった丸い顔。 独特の風貌の人形に「それでいいのよん」「うまくいくわよん」といった前向きなメッセージが添えられている。 「マリコ」と名付けられた女の子の人形が、長野県富士見町の新たな名物になりつつある。   町内で買えるのは商店街や道の駅など9カ所。 酒店では酒瓶を抱えた「よっぱらいマリコ」、豆腐店は四角い顔の「とうふマリコ」―とそれぞれ違う人形(1体980円前後)が売られている。  作っているのは、町内の人形作家、大御堂恵子(おおみどう・けいこ)さん(40)。 知人の高校生の娘に「マリコという名前がぴったり」と言われ、そのまま名付けた。 2010年夏のことだ。  最初は、女の子の形をした人形をレストランに置いただけだったが、文房具店にペンをかたどった「ペンマリコ」を納めたところ評判に。 「うちにもオリジナルのマリコを作ってほしい」との声が相次ぎ、さまざまな変わり種を作ることになった。 その店でしか買えないマリコ人形を集めよう―と町内を巡るファンも現れた。 大御堂さんによると、これまでに千体以上が売れたという。  町発行の観光情報誌には、昨年秋から「マリコが行く」と題するコーナーもでき、町の見どころを案内する役として登場。 町産業課主任の清水美紀(しみず・みき)さん(31)は「富士見町のPRに一役買ってくれている」と話す。  町内の商店で生まれ育った大御堂さん。 周りには閉店した店も多く、現在の商店街の姿に寂しさも感じるという。 「マリコをきっかけに町に興味を持ち、訪れる人が増えてほしい」。 そんな願いを込め、365日、休まずに針を動かしている。 *  マリコ人形は、富士見町の友好都市、東京都多摩市にある共同のアンテナショップでも販売されている。 「キモかわいい」と評判。ルバーブジャムやそばといった町特産品とともに、多くの人に愛されることを願う。