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田中一村の好んだ奄美の風景

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ヒカゲヘゴ(日陰ヘゴ) 他の植物のために、日陰をつくるので日陰ヘゴといいます。 ヘゴは、ワラビなどと共にシダの一種です。新芽を食べることができます。 名瀬市の金作原(きんさくばる)原生林にて。 ここは、映画ゴジラの舞台ともなりました。 奄美は山深く、緑濃く、森林はうっそうとしています。大きな雲が上をおおっています。 熱帯のマレーシアの平均気温は27度です。ジャングルの蒸気が雲になるからか、いつも曇っています。奄美も似通ったところがあります。一村がこのんだ濃い沈んだ風景がいたるところにあります。 一村宅のパパイヤ 青い実を漬け物にしたり、みそ汁の具にしたりします。 夏暑すぎて野菜が育たないので、野菜の代わりにします。 一村は農作業が得意でした。 一村宅のクワズイモ(食わず芋) 芋は食べられないのでその名が付きました。 一村宅上の林 山深く、緑濃い奄美の林はジャングルのように鬱そうとしています。 アダンの群生林 波をかぶってもアダンは枯れません。 コンクリート堤がないところでは、うしろの土砂を海に流れでないようにまもります。 台風で運ばれた海の砂 塩害に耐えれる作物だけが海岸に生き残ることができます。 100メートル以上離れていても海の砂は波に乗って舞ってきます マングローブの原生林 この木々の下をカヌーで遊ぶことができます。 マングローブとは木の名前ではありません。 湿地帯に生えているいろいろな樹木群の総称です。住用(すみよう)村にて。 止めどなくのびる木のツル ウジルカンダというマメ科の木です。 ずっと画面の先までのびています。 この付近には、「 もだま(藻玉) 」というさやの長さが1メートル以上、マメの直径が10センチにもなる世界最大の豆がありました。 この他の植物 * ビロウ樹 :シュロに似たヤシ * フクギ 塩害に強い木。空に突き上げるように高く、真っ直ぐにのびます。 田中一村について 田中一村 ウィキペディア 田中一村超マニアックコース 田中一村記念美術館

田中一村(いっそん)。奄美を描き続けた孤高の画家。Tanaka Isson。9月11日没

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田中一村(いっそん)。奄美を描き続けた画家。Tanaka Isson。9月11日没 田中一村。田中一村記念館にて。/奄美パーク ・1908年7月22日。栃木県~1977年9月11日没。69歳。奄美大島 田中一村展 奄美の光   魂の絵画  https://isson2024.exhn.jp/ 2024年9月19日(木)~12月1日(日) 東京都美術館  台東区上野公園8-36 【追加分】 【3分】東京都美術館「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」 【追加分】 【15分】奄美で独り絵を描き続けた画家「田中一村」ってどんな画家?《美術解説》 大好評です。 ---------- 【地図】  奄美・沖縄4地域  世界自然遺産に 奄美・沖縄4地域 世界自然遺産  奄美沖縄自然遺産  2021年、「奄美大島、徳之島、沖縄島北部 及び 西表島(いりおもてじま)」が、 きわめて貴重な生物や生態系を有しており、 世界自然遺産としてふさわしいと認められました。 ---------- 大島ツムギのドロ染め。背後には一村の家  /奄美にて ドロ染めは、田中一村もおこないます。 日を変えて5回染めます。 回数が多ければ多いほど、光沢が出ます。 この作業の前に、車輪梅(テーチギ=鉄木)に80回ほど 染めます。 向こうに見えるのは一村宅です。 一村は、この掘っ立て小屋に引っ越して来て 「大きくて、まるで、御殿のようだ」と喜びます。 名作「アダンの木」  一村は、人気(ひとけ)のない縦長の絵を好んでえがきます。 大きな横がきの絵は、狭い4畳半の家では描けません。 (画像の出典:『奄美群島日本復帰50周年記念 奄美を描いた画家 田中一村展』2004年) ・・・・・・・・・・・ 田中一村(いっそん)は、 1908年栃木市に生まれます。 7歳で文部大臣賞を受賞し神童とよばれます。 18歳の時には、重鎮から激励されるなど、 将来を嘱望(しょくぼう)されます。 しかし、中央画壇とは一線を画し、清貧の中で画業に励みます。 1958年 50歳の時、奄美に移ります。 50歳から亡くなる69歳までの奄美生活となります。 生涯の絵が奄美で待っています。 手元には...

西郷隆盛。奄美妻・愛加那(あいかな)の息子は京都市長にも

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西郷隆盛。奄美妻・愛加那(あいかな)の息子は京都市長にも 息子の菊次郎と若き日の愛加那   http://goo.gl/p0B6x  西郷隆盛の流謫(るたく)の家 。 奄美大島・龍郷(たつごう)町にて 。2008年 【出所】国会図書館 西郷隆盛の奄美大島での妻は、愛加那(あいかな)です。 流謫(るたく)の身であった西郷隆盛は、シマの娘・愛加那を 33歳の時に妻にしました。 愛加那は22歳でした。 ここで3年間暮らしました。 二人の子供、 菊次郎、菊子 は、島妻制度の掟にしたがい、 薩摩の西郷本家に引き取られました。 母の愛加那は孤独な生涯をシマで送りました。 西郷は、「菊池源吾」とシマでは名乗っていました。 長男に菊池の「菊」をとって菊次郎とつけました。 菊次郎は、台湾の知事をやり、京都市長にも なりました。 西郷は、鹿児島で別の女性と結婚して、次男を寅年にもうけました。 寅太郎です。 シマ(奄美)生まれの長男が菊次郎です。 鹿児島の次男が寅太郎です。 そのころの本土人の琉球、奄美観があらわれています。 ◇                    ◇                    ◇ その昔、名門・肥後の菊池氏の一族が南下し、 西郷姓を名乗りました。 西郷隆盛も肥後菊池氏の出です。 徳川家康が一番愛した女性が、肥後菊池の流れを汲む     西郷局(さいごうのつぼね) です。 西郷局の子供が、2代徳川秀忠 です。 秀忠は、江(ごう)の旦那です。 【※】江(ごう) 母は織田信長の妹。 浅井三姉妹の長姉は淀殿(茶々)、次姉・初(はつ)は京極高次正室、江(ごう)は第2代・徳川秀忠の正室です。 ◇                    ◇           ...