「社会主義国にせよ資本主義国にせよ修身のない国はないのに、ひとりわが国にはない。」
「生れるのが自然なら死ぬのもまた自然なのに、こんなに死ににくくなった時代はない。」
「自動車にもとづいた未来の都市計画案は、私には荒涼たる無人の廃墟に見えます。」
「大小を問わずジャーナリズムは企業である。早い話が商売である。」
「実社会は互いに矛盾し、複雑を極めている。
それは他人を見るより自分を見れば分る。
自己の内奥をのぞいてみれば、良心的だの純潔だのと言える道理がない。」
「マジメ人間というものは、自分のことは棚にあげ、正論を吐くものである。」
「犬猫でさえ人類よりましである。
第一彼らは銭を持たない。
従って売淫しない、戦争しない。」
「経験すれば人は利口になるというのは、迷信ではないのか。
人は経験によって何かを増したろうか。」
「本を読むことは、すでに死んだ人と知合いになること。」
「私は人類を愛してない。
見限っている。
見限ったのは大勢の人類に接して、一々話しあった上でのことではない。
自分の内心を見て、愛想をつかしたのである。」
「まねてまねてまねせよ。」
「世はいかさまで資本主義はそのいかさまの極である。」
「いまの私たちの老後の諸問題は昔はみな孝が始末していたものである。」
「政治家が国を誤るのは俗受けをねらってパフォーマンスをやる時に多い。」
「あらゆる不祥事にかかわらず銀行は平気である。
預金の利息をただ同然にしたからそのぶんまるごと利益になった。」
預金の利息をただ同然にしたからそのぶんまるごと利益になった。」
「人は金ほど好きなものはないというが、正義はもっと好きだ。」
「金銭というものは清く正しいものではない。
邪悪な暗いものだから株屋はあっていい。
ただそれには相応の差別があるべきだ。」
「俗に猫に小判というが、三歳の童子は猫に似て、小判をありがたく思わない。
小判より声をかけてくれる人、かまってくれる人のほうを喜ぶ。
そして人の知能は多く三歳を越えないと、知能を調べる学者は言っている。」
「仕事らしい仕事がなくて、給料が世間並なら割がいいと、もし若者が思うなら間違いである。
終日仕事がないことが、どんなにつらいことか知らないのである。」
「縁台は個人のものであり、横丁のものであった。
これを町内という。
今は地域社会という。
コミュニティの訳語だろうが、地域社会なんていっているかぎりよい町内はできないだろう。」
「以前は私たちの胸の中には、堪忍袋という袋があって、それには緒がついていて、めったに切れなかったが、このごろはすぐ切れるようになった。」
「私は近く新聞はつぶれると見ています。」
「私は断言する。
新聞はこの次の一大事の時にも国をあやまるだろう。」
新聞はこの次の一大事の時にも国をあやまるだろう。」
「人前で立派なことを言う人ならたいていうそつきである。」
「忌憚(きたん)なく言えということはほめてくれということだ。」
「寿司屋も天ぷら屋も自分に何の取柄があって、彼らは客をあなどるのだろう。」
「梨園の名門というのは乞食のなかの名門というほどのことで笑止である。」
「職業に貴賎なしというのはウソである。」
「ワイロは浮き世の潤滑油である。
もらいっこない人は自動的に正義漢になるが、一度でももらってごらん、人間というものが分かる。
古往今来正義の時代は文化を生まなかった。
『文化は腐敗の時代に生まれた』と昔、渡部昇一は言った。
卓見である。」
「身辺清潔の人は、何事もしない人である。
できない人である。」
「一人安全かつ居丈高なのは新聞の正義だけである。
けれども、およそ大ぜいが異口同音に言う正義なら安物で眉ツバにきまっている。
たとえ肉体は売っても、正義を売り物にするなかれ、と古人が言っている。」
「人は言論の是非より、それをいう人数の多寡に左右される。」
「私はジャーナリズムを嫌悪し、かつ軽蔑しながらなお長年そのなかで衣食してきたものである。
だから、せめて自分でも信じないことは書くなと言いたい。」
「日本人とは何か、一口で言ってみる。
『ニセ毛唐だ。』」