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寺島実郎「チャイナインパクト」『世界を知る力』 <読書メモ

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 寺島実郎は、全体知、ビジョン、世界観、歴史観、長期構想、理念、哲学をよく語りますが、 本書は現代世界を鳥の目でながめるためのやさしい骨太の良書です。 世界は、分散型ネットワーク時代に入っています。 チャイナ、ユダヤ、イギリスのネットワークなどについて語られています。 まず、チャイナネットワークを取りあげます。 *     *     *   摘録(本文の抜粋編集です。)(▼は桑原政則のコメントです。) チャイナ、チャイニーズは、「中国」「中国人」ではありません。 チャイナには、台湾、香港、シンガポール、世界に散らばる6000万の華僑も含まれます。 チャイナは、日本語では「大中華圏」となります。 同様にチャイニーズは、台湾人、シンガポール人などの漢族の他に、国内のウイグル人、チベット人、モンゴル人をもふくむ「中華民族」を意味します。 中国大陸には100万人以上の台湾人が移住し、果敢にビジネスを展開しています。 上海には、台湾人専用入国審査カウンターがあります。 大陸の台湾メーカーは、中国のエレクトニクス産業の輸出額の半分を担っています。 ▼ 「世界客家(ハッカ)大会」などをみても、大陸、台湾など世界中の客家が 国家などと関係なく、一堂に会しています。 客家著名人:洪秀全(太平天国の天王) 孫文(中華民国初代総統) 朱徳(中国共産党初代元帥) 鄧小平(元中華人民共和国最高指導者) 李登輝(台湾前総統) タクシン(タイ国元首相) リー・クァンユー(李光耀、シンガポール初代首相) 胡文虎(タイガーバーム発明者) シンガポールは大中華圏の研究センターです。 高度先進医療を受けるために、毎年10万人が大陸からやってきます。 日本の貿易総額の3割以上が大中華圏を相手にしています。 (アメリカは14%です。) ▼ 世界中に中国人は住んでいます。 イギリスには2006年現在40万人すんでおり、毎年1割ずつふえています。 英連邦に属していた香港からの移民が多く、 英連邦への加盟国(シンガポール、マレーシア、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南ア)へも移民し、そこからイギリスに入ったりしています。 (...

日光東照宮の回転燈籠はオランダからの献上品

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右:陽明門の左下に灯籠が 陽明門にある8角形の燈籠(とうろう)は、1636年にオランダから奉納されたものです。 軸を中心に回転します。 オランダからの東照宮への奉納は3回おこなわれました。 上部についている三葉葵(みつばあおい)の紋が、まちがえてさかさまになっています。 日光東照宮オランダ燈籠・模刻制作 *     *     * 1600年代アジアの海は激しく流動していました。 1624年オランダは台湾・台南市にゼーランディア城(安平古堡)を築きました。 日本との貿易中継基地に使うためでした。 そのころ日本は台湾などを拠点にアジア各地との貿易を拡大しようとしていました。 1626年2隻の日本船がゼーランディア城近くに立ち寄りました。 中国大陸との貿易のためでした。 オランダは、貿易品に課税し、日本が支払いを拒否すると、貿易品を没収しました。 1628年、報復のために、日本の朱印船が500人の乗組員と武器を満載して、ゼーランディア城を攻撃しました。 貿易品を奪い返し、オランダ人5人を人質に取り、長崎・平戸の商館を封鎖しました。 このころは、台湾があり、中国があり、東南アジアがあって、 大航海時代でした。 この事件の解決には10年かかりました。 オランダは、さまざまな品物を将軍に献上しました。 東照宮にあるアムステルダム製の銅の回転灯籠はこのときに献上されたものです。 回転灯籠の裏には、このようなドラマがありました。 【cf.】田中優子『江戸の想像力』 ▼ 朝鮮通信使や琉球慶賀使も日光を訪れ、 日光東照宮の宗教的権威を高め、 「世界の徳川幕府」 を海外に知らせました。 *     *     * 日光を歩く 目次 (改稿:2011年12月) *     *     * 江戸の想像力―18世紀のメディアと表徴 posted with amazlet at 10.01.24 田中 優子 筑摩書房 ...

大下 英治『 孫正義 世界20億人覇権の野望』 <読書メモ

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 大下 英治『 孫正義 世界20億人覇権の野望』  この本は、大下英治の孫正義に関する2冊目の本です。 大下英治は、孫正義に最初にインタビューをした作家です。  この本は、孫正義に肩入れをしていて、 孫正義を坂本龍馬、松下幸之助の再来のように 描いています。 それだけに、積極果敢な孫正義から、おおいに元気がもらえます。 やさしくおもしろく描かれています。 孫正義には、長期ビジョン、交渉力、技術、頭脳、情熱、勇気があります。 坂本龍馬は、薩と長を結びつけ、日本を1つにするのに功がありました。 孫正義は、デジタルで日本、韓国、中国の東アジアを1つにしようとしています。 桑原政則が読んだ孫正義の本 目次 序章 孫正義が語る、ソフトバンク「最強経営」哲学 第1章 孫正義、屹立の時 第2章 ソフトバンクの現在 第3章 ソフトバンク、怒濤のM&A史 第4章 球団買収と王貞治 第5章 世界20億人覇権の野望 第6章 ソフトバンクの未来像 *     *     *   摘録(本文の抜粋編集です。)(▼は桑原政則のコメントです。) 光ファイバーを家庭すべてに引きましょう。地方の道路を舗装するよりも経済効果は大きい。 9 「あらゆる産業がデジタルに置き換わっていくという大きな流れは微動だにしていない。」 ▼ 農業の土台は農地、工業の土台は工場、情報時代の土台はデジタルです。 10 教育は、「読み書きそろばん」から「読み書きキーボード」へ  ▼ 漢字の書き順よりもキー入力を早めることの方が大切です。 11 「迷ったときほど、先をみよ先を見よ。」 いまや世界は 混沌としている。 先が読めない。 しかし、2年先を予測できなくても、20年先のビジョンを見通すことはできる。 だからこそ、リーダーは中長期のビジョンを示すことが重要である。 12 偶然による大業はあり得ない。 最高経営責任者は、大業に対するビジョンを掲げ、 限られた人生を一直線に進んでいくほかない。 CEOが、ビッグ・ピクチャーを示すことが全ての鍵になる。 13 撤退する勇気は、攻め込むときより10倍の勇気が必要...

五木寛之『養生の実技』 

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五木寛之『養生の実技』は、五木寛之の体験による養生の実技です。 摘録(本文の抜粋編集)です。 養生法は人それぞれが結論です。 ◇                    ◆                    ◇ ・冷たい水は飲まない。飲むときいは口の中で噛んでから飲む。 ・サプリメントは気やすめ程度に飲む。 ・一種類の薬を長期服用はしない。 ・常用している薬は、ときどき休む。 ・出来るだけ体を冷やさない。 ・旅行や外出の際は、夏でも薄手のマフラーかセーターを携帯し、 冷房が強いときは必ず首を暖める。 ・呼吸も、運動も、下腹部を意識するだけでよい。 「重心は下に」と声をだしてつぶやけば、 意識がそちらへ向く。 ・笑うことは心身によいが、泣くことも同じ。 涙は魂を浄化する。 ・十数年前の医学界の常識(心理)は、今の常識ではない。 今の常識は十数年後の非常識となる。 それが進歩だ。 ・薬にはすべて副作用(毒性)がある。 副作用のない薬は効かない。 ・ 身体の発する「身体語」を学び 、 その声に謙虚に耳を傾けて身体と対話することが養生の基本である。 ・こんな時代に毎日、明るく爽やかに生きていける人は、病気である。 病める時代に病みつつ生きる養生の工夫が必要なのだ。 ・健康法は目の色を変えてやらない。 「趣味は養生です」くらいがよい。 ・あらゆる養生訓は、すべて他人の養生である。 自分だけの養生法を工夫しよう。 ◇                    ◆                    ◇ 他に、 ・風邪には効用があり、年2回はひいたほうがよい。 ・自分は、雨が近づいてくると低気圧だから、体調が不良になる。 ・口に入れて体調が良いものが身体に良いものである。 ▼...

日光の三猿は人生物語の一幕

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三猿の絵 「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿は、8枚の絵の1枚です。 小さいうちは、「悪いことを見ない、言わない、聞かない」ようにしなさいという教えです。 字の読めない人々にもわかるようにとのことです。 8枚の絵は、赤ん坊の時代から結婚するまでを物語っています。 山あり谷ありの一生を、平和にすごすための導きのようです。 1 母子の信頼時代 母が小手をかざして遠くを見、子どもの幸せを願っています。 母を見上げる赤ちゃんは、信頼しきっています。 2 「見ざる、聞かざる、言わざる」(子供時代、トップの写真) 三猿の教えです。 「小さいときは、悪いことを見たり、聞いたり、言ってはいけません。素直に育ちなさい。」 いまの子供に必要なしつけです。 子供(≒猛獣)に自由を与えすぎてはいけません。 家庭で、一族で、地域で、 しつけをおこなうことが必要です。 学校などは頼りになりません。 3 一人きりの猿 腰をすえてこれからの人生を考えています。 少年から青年になり「独り立ちしようかな」と不安な状態をあらわしています。 4 坂の上の雲 きびしい目つきで坂の上の雲をながめています。 雲は青く塗られています。 青雲の志を抱いている青春期の猿です。 5 挫折と友情 左の猿のすぐ右の猿が挫折をしたようです。 崖っぷちから下をながめています。 そんなとき、背中に手を当てなぐさめはげます友がいます。 6 恋 右の猿は物思いにふけって、何もする気力がうかがえません。 恋に悩んでいるかのようです。 左の猿は、我関せずです。 7 結婚 結婚した猿のようでう。 2人には荒波が待ち受けています。 2人は力を合わせ人生の荒波を超えようとしています。 8 子供の誕生 子供が誕生する前の母猿です。 子供ができて、物語はふたたびはじめに戻ります。 神厩舎(しんきゅうしゃ)   http://goo.gl/7EOaz 三猿の絵は、神厩舎(しんきゅうしゃ)に掲げられています。 表門をくぐった左手にあります。 神厩舎には、家康が乗っていた馬が奉納されていました。 この厩舎(きゅうしゃ...

野口悠紀雄他『ジェネラルパーパス・テクノロジー』 <読書メモ

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野口悠紀雄・遠藤諭『ジェネラルパーパス・テクノロジー』 読書メモ IT革命によりソ連邦は崩壊しました。 戦後経済は重厚長大、大量生産の製造業が中心でした。 巨大組織の構成員は、ロボットのようにいわれたままをおこなうことを要請されました。 軍隊型、ソ連式の組織が有効でした。 1990年代に入りIT革命が起こりました。 パソコンも安くなり、ユーザー同士が自由に意見を交換するようになり、 企業や行政に大きな力を出すようになりました。 企業はユーザーの声を反映するようになり、 それでさらに業績を向上するようになりました。 今ユーザーがボランティアでつくる無料のオンライン百科事典『ウィキペディア』は、 どの百科事典より利用されています。 言論を統制する社会主義国家では、国民が意見を出すことは望ましいことではありません。 ソ連が崩壊したのは、誰もが利用できる情報技術を 市民に使わせなかったからです。 日本の大企業、政府も、ソ連とよく似たところがあります。 大企業が支配的であり、意志決定は中央集権化しています。 IT革命の恩恵を受けていません。 *     *     *   摘録(本文の抜粋編集です。)(▼は桑原政則のコメントです。) 古い産業社会は、工業製品を基軸に動いていた。 いまの社会は「情報」を基軸に動いている。 ▼いまでは「情報」は、手段ではなく、土台、基軸です。 ITは、社会の土台(汎用技術= GPT、general-purpose technology)である。 単なる「おまけ」ではない。 ▼ GPTとは、地球全体に通用する技術のことです。電気、電話、道路のようなものです。 日本の大企業は業務を大金を使って、独自のシステムを構築し、 自社内で処理しており、 業務の他社への委託(アウトソーシング)ができず、ITの活用が進まない。 ITが世界の産業構造を製造業中心の工業社会から情報社会に変えてしまったのにかかわらず、日本はそれに追随できていない。 日本経済の停滞因は、大手企業や行政がITを活用した業務改革をおこなっていないからである。 日本の電子政府は、総合窓口の検索結果が的外れであり、...

二荒山(ふたらさん)神社は、山そのものが神

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   二荒山(ふたらさん、男体山)神社は、背後の二荒山そのものがご神体です。 奈良時代の末に勝道(しょうどう)上人が建てたといわれています。 自然をあがめ、多くの神木が環境を守っています。 二荒山神社 公式ページ *     *     * 沖縄の斎場御嶽(セーファ ウタキ)では、鳥居も建物もなく、石が置いてあるだけです。 沖縄にはなぜ神社がないの?斎場御嶽(セーファ ウタキ) *     *     * 日光を歩く 目次

日光は「二荒山(ふたらざん)」に由来

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二荒山神社から男体山へのルート  http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/001/852/28/N000/000/000/118084438843716103461.jpg 男体山(なんたいさん) 【画像】  出所: http://www.rinnoji.or.jp/keidai/keidai.html 補陀洛(ふだらく)を商標に 観音さまが住んでいるところを補陀洛山(ふだらくさん)とよびます。 補陀洛山にちなんで、男体山(なんたいさん)を、フタラ山と別称していました。 いつしか、「フタラ山→ 二荒山」の漢字が当てられるようになりました。 そして、空海が二荒山(= 男体山)に登ったとき、 二荒(にこう)を縁起のよい「日光」にしたといわれています。 *     *     * 日光を歩く 目次 (改稿:2011年10月)

徳川家康の遺訓 「重荷を負うて遠き道を」

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家康の遺訓「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し」  奥社の家康の墓 東照宮の奥社(おくしゃ)には家康の墓があります。 奥社への途中に家康の遺訓が掲げてあります。 「 人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し。 急ぐべからず 。 」 続きがあります。 「 不自由を常と思えば不足なし、 心に望み起らば 困窮したるときを思い出すべし。 堪忍は無事長久の基、 怒りは敵と思え、 勝つことばかり知りて、 負けることを知らざれば、 害その身に至る。 己を責めて人を責めるな、 及ばざるは過ぎたるより勝れり。 」 ◇                    ◆                    ◇ ◇                    ◆                    ◇ 奥社 日光山地図   【メモ】日光めぐりのモデルルート 天海僧正像  神橋(しんきょう)  輪王寺(りんのうじ)の三仏堂、天海の相輪とう 東照宮(五重塔 陽明門 逆さ柱 社殿 神厩舎(しんきゅうしゃ)の三猿 坂下門の眠り猫、家康の奥舎) 山全体がご神体の二荒山(ふたらざん)神社 家光の大猷院(たいゆういん) 天海の慈眼堂