タイの消費財王・ブンヤシット氏
アジアひと未来 第6部 インタビュー 日経 2017/4/6付
1955年。大阪・心斎橋に降り立った18歳のタイ人青年は、初めて見る地下鉄や色鮮やかなネオンに目を丸くした。敗戦から10年。日本は高度成長の入り口に差し掛かっていた。
「参考にしてタイも発展できるんやないかと思った」。62年前に抱いた思いをブンヤシット・チョクワタナー(79)が関西なまりの日本語で振り返る。会長として率いるサハ・グループは今や即席麺から洗剤、衣料品まで3万点を超す製品を手掛け、本人は「タイの消費財王」の異名を持つ。
前身の雑貨問屋を興した父に商才を見込まれ、大阪で6年間、商品買い付けに奔走。欧米製の万年筆やベルトの模倣品を日本企業に発注し、タイへ持ち込んだ。帰国後は製造業への進出を任された。62年にライオンと粉末シャンプーの合弁工場を立ち上げて以来、日本企業のタイ進出の水先案内人となった。
「欧米はタイの中小企業なんて相手にしなかった」。消去法で選んだ日本だったが、それ以上に大阪で学んだ「信用第一」の商道徳にひかれた。
嗅覚は鋭かった。雑貨の次に目をつけたのは女性下着。タイでも化粧をする女性が増え、「美」の意識の変化を感じていた。大阪時代のつてをたどってワコール創業者の塚本幸一に直談判。「あんたにはかなわんわ」。3年越しで首を縦に振らせ、70年に合弁会社を設立した。
最初は売れなかった。着物文化が残る当時の日本人女性と違い、タイ人は豊満さを強調したがった。リゾート地へ出向いて何百人と採寸し、自国向け商品を作り上げた。
キユーピー、ミズノ、ローソン……。半世紀余りで設立した日本との合弁は80社を超す。3月にもアパレル大手ワールドと「タケオキクチ」のタイ1号店を開設した。「長期的な視点で事業を育てている」。セコム創業者の飯田亮(84)は日本人以上に日本的なブンヤシットの経営姿勢をこう評する。
サハの成功はタイ人の親日感情を抜きに語れない。博報堂生活総合研究所の昨年の調査で日本を「好き」と答えた人は6割。対韓国の3割、中国の2割を大きく上回る。
だが豊かになり始めたアジアの人々が一方的に日本を仰ぎ見る時代は去った。サハも韓国・サムスン電子と家電製品を生産し、6月には「中国版ユニクロ」といわれるカジュアル衣料品店の1号店をバンコクに出す。
変化が激しくなる今後は過去の成功体験が足かせになりかねない。「正解が1つでない時代は、日本が必ずしも答えを持っていない」(チュラロンコン大学日本センター所長の藤岡資正=40)
技術力や競争力での優位は薄れても「相互信頼を重んじる点で日本の方が東南アジアの文化に近い」とブンヤシットは言う。経済や安全保障で内向き志向を強める米国の影響力が衰え、代わりに中国が存在感を高めるなか、日本に対するアジアの期待はなお大きい。アジアが日本に何を求め、日本はどう応えるのか。共存共栄の歩みは転機を迎えている。(敬称略)
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日本人とサハ グループが 益々 親密に ・・・
社長のひとりごと
サハグループ wp
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