邪馬台国のヒミコは、魏と組んで呉をハサミうちに。遠交近攻
邪馬台国のヒミコは、魏と組んで呉をハサミうちに。遠交近攻 中国は、紀元前から外交、広報、戦争は手慣れたものです。 有史以来異民族に支配され、ケンカばかりしているからです。 遠交近攻(えんこう きんこう)とは、「遠きと交わり、近きを攻(せ)む」とのことで、 近くの国を両者ではさみうちにして、攻め滅ぼそうとする戦略です。(Befriend a distant state and strike a neighboring state.) 『三国志』のなかの『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』では、日本は「遠交」の相手として重んじられています。 「近攻」の呉をはさみうちにするためです。 239年ヒミコは、巍に使者を送り、歓待されました。 海の苦手な魏は、海の呉を攻めるのに、海に囲まれた邪馬台国が必要でした。 さらに巍は、呉をうつためにクシャーナ朝(大月氏、イラン系)と結びます。 中国では古来より三スクミ、多国間外交は常道です。 魏は王号の金印を、 邪馬台国とクシャーナ朝 のみに授けます。 金の印鑑は、王号である破格の扱いを示します。 2022年からは、高校の世界史と日本史が「 歴史総合 」となります。 日本史と世界史を融合した科目です。 邪馬台国を考えるときにも、 アジア大陸の情勢、対外要因を視野に入れる必要があります。