・1133年5月20日~1212年2月29日没。京都
法然は浄土宗の開祖で浄土真宗・親鸞の師匠です。
奈良時代の仏教は、貴族だけを守るためのものでした。
法然は、誰でもが拝めば、極楽浄土に行けると説きました。
奈良時代の仏教は、貴族だけを守るためのものでした。
法然は、誰でもが拝めば、極楽浄土に行けると説きました。
仏教を万人のものにしました。
法然のあとに、他宗も続きました。
鎌倉の新仏教 6宗
浄土宗 法然 1133-1212
浄土真宗 親鸞 1173-1262
時宗 一遍 1239-1289
日蓮宗 日蓮 1222-1282
臨済宗 栄西 1141-1215
曹洞宗 道元 1200-1253
法然が、9歳の時父が横死します。
法然は父の遺言で仏門に入りました。
法然は、15歳から43歳まで
28年間、比叡山で修行します。
5千巻以上の一切経を5度読みかえしました。
「智恵の法然」とうわさされました。
法然は、きびしい求道家でした。
内のきびしさを温和と寛容の風貌に包んでいました。
平安末期は、保元の乱(1156)、平治の乱(1159)など、
相次ぐ天変地異で歴史の大きな転換期でした。
1175年、法然は浄土宗を開きます。
かつて、仏教は、国家宗教で、僧侶は国家公務員でした。
僧侶の役目は、国家、貴族だけを守ることでした。
裕福な貴族たちは、仏像をつくり、寺を建立しました。
貴族だけが浄土に行くことができました。
それを、法然は、貴族でなくとも、
誰でも「南無阿弥陀仏をとなえれば、極楽往生できる」としました。
わかりやすい教えは武士や庶民に広く受けいれられました。
【※】「南無阿弥陀仏」
南無とは「おすがりします」。阿弥陀仏とは、「浄土にいるホトケさま」のことです。
アミダさまは、無限の寿命をもつ者、無量寿ともいわれます。
「アミダさまにおすがりします」、
アミダさま、極楽浄土へお連れください。
専修念仏(せんじゅねんぶつ)とは、
ナムアミダブツだけをとなえることです。
となえれば、老若男女、僧俗貴賎を問わず往生できます。
「往生」とは、<往(い)って(浄土で)生きる>ことです。
はじめて女性に布教したのは法然です。
法然の新しい仏教は またたくまに民衆の間に広まりました。
しかし、権力はこの民衆の宗教運動を嫌い、
法然、弟子の親鸞を島流しにします。
法然75歳の時です。
流罪地は土佐でした。
80歳の時、法然は許されて土佐から京へ戻ります。
知恩院の勢至堂(せいしどう)で2ヶ月をすごし、そこで往生しました。
法然は、仏教を日本風に発展させ、万人のものにしました。
8つの大師号を朝廷から送られています。
法然だけです。
親鸞が最も尊敬したのは法然です。
(【※】法然は浄土宗、親鸞は浄土真宗となっています。)
いまの世の中は、人間中心の極端な合理主義、競争原理のために、人類のみならず生物の存続までもが危うくなっています。
人間はおろかで、無力、不完全です。
法然のやさしさ、あたたかさ、おもいやりが、必要なようです。
◇ ◆ ◇
増上寺
浄土宗の大本山です。総本山は知恩院です。
法然上人絵伝
法然上人行状絵図(48巻)は国宝です
句碑の説明:
池の水は、人の心に似て、時には澄み、時には濁り定めがありません。
私の心も信仰に包まれたり、煩悩に悩まされたりで、安定しません。
だからこそ、阿弥陀さまにおすがりしよう。
法然と親鸞 【+4】
前進座講演。2009年12月15日まで青山劇場にて 。
法然の弟子が親鸞です。(2009年蓮馨寺 粂原恒久 住職のご案内で観劇)
*法然 コラム
◇ ◆ ◇
「第三十九段」『徒然草』、法然上人の睡魔について
ある人が法然上人に
「念仏を唱えているとき、睡魔におそわれ仏道修行をおろそかにしてしまうことがあるのですが、どうしたら、この問題を解決できるでしょうか?」
と訪ねたら
「目が覚めているときに、念仏を唱えなさい」
と答えたそうな。とってもありがたいお言葉である。
また、
「死後に天国に行けると思えば、きっと行けるだろうし、行けないと思えば無理だ」
と言ったそうな。これも、とってもありがたいお言葉である。
それから、
「死後に天国に行けるかどうか心配しながらでも、念仏を唱えていれば、成仏できる」
と言ったそうな。これまた、とってもありがたいお言葉である。
【※】「南無阿弥陀仏」
南無とは「おすがりします」。阿弥陀仏とは、「浄土にいるホトケさま」のことです。
アミダさまは、無限の寿命をもつ者、無量寿ともいわれます。
「アミダさまにおすがりします」、
アミダさま、極楽浄土へお連れください。
専修念仏(せんじゅねんぶつ)とは、
ナムアミダブツだけをとなえることです。
となえれば、老若男女、僧俗貴賎を問わず往生できます。
「往生」とは、<往(い)って(浄土で)生きる>ことです。
はじめて女性に布教したのは法然です。
法然の新しい仏教は またたくまに民衆の間に広まりました。
しかし、権力はこの民衆の宗教運動を嫌い、
法然、弟子の親鸞を島流しにします。
法然75歳の時です。
流罪地は土佐でした。
80歳の時、法然は許されて土佐から京へ戻ります。
知恩院の勢至堂(せいしどう)で2ヶ月をすごし、そこで往生しました。
法然は、仏教を日本風に発展させ、万人のものにしました。
8つの大師号を朝廷から送られています。
法然だけです。
親鸞が最も尊敬したのは法然です。
(【※】法然は浄土宗、親鸞は浄土真宗となっています。)
いまの世の中は、人間中心の極端な合理主義、競争原理のために、人類のみならず生物の存続までもが危うくなっています。
人間はおろかで、無力、不完全です。
法然のやさしさ、あたたかさ、おもいやりが、必要なようです。
◇ ◆ ◇
増上寺
浄土宗の大本山です。総本山は知恩院です。
法然上人絵伝
法然上人行状絵図(48巻)は国宝です
京都・知恩院 2009年 |
法然上人 八百年御忌(ぎょき)大会 2011年 |
法然上人 句碑 「池の水 人の心に 似たりけり 濁り澄むこと 定めなければ」 (増上寺) |
池の水は、人の心に似て、時には澄み、時には濁り定めがありません。
私の心も信仰に包まれたり、煩悩に悩まされたりで、安定しません。
だからこそ、阿弥陀さまにおすがりしよう。
法然と親鸞 【+4】
前進座講演。2009年12月15日まで青山劇場にて 。
法然の弟子が親鸞です。(2009年蓮馨寺 粂原恒久 住職のご案内で観劇)
*法然 コラム
◇ ◆ ◇
「第三十九段」『徒然草』、法然上人の睡魔について
ある人が法然上人に
「念仏を唱えているとき、睡魔におそわれ仏道修行をおろそかにしてしまうことがあるのですが、どうしたら、この問題を解決できるでしょうか?」
と訪ねたら
「目が覚めているときに、念仏を唱えなさい」
と答えたそうな。とってもありがたいお言葉である。
また、
「死後に天国に行けると思えば、きっと行けるだろうし、行けないと思えば無理だ」
と言ったそうな。これも、とってもありがたいお言葉である。
それから、
「死後に天国に行けるかどうか心配しながらでも、念仏を唱えていれば、成仏できる」
と言ったそうな。これまた、とってもありがたいお言葉である。