親鸞の「悪人こそ救われる」とは?

親鸞の思想の根本は、悪人正機(あくにんしょうき)説です。
悪人こそが極楽浄土へ行ける、というものです。
「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」


親鸞の「善悪」は今とはちがいます。

ここで、善人とは聖人のような人で、貴族などの高貴な人々のことです。
善人は1万人に1人もいません。
善人は仏道に励むお金も時間も教養もあるので、浄土へ行くことができます。


悪人とは、他力救済に頼む人々のことです。


ふつうの人々は、いままでの国家仏教では、救われませんでした。
生きるために生き物を殺したりしていたからです。
これを救われるとしたのが親鸞です。

浄土真宗における善人とは自力救済に励む人々を指し、
悪人とは他力救済に頼む人々を指します。


親鸞は、国家(= 上流階級)の秩序を乱すとして、越後へ流されました。


※ 「悪」とは

「悪」には、荒々しい、との賞賛の気持が込められることもありました。
「悪源太」は 源義平(よしひら、頼朝らの異母兄)の異名です。