於大の方(おだいのかた)。徳川家康の母 <戦国の姫たち
於大の方(おだいのかた) 徳川家康の母 |
・1528年 - 1602年10月13日 74歳
松平氏と水野氏の関連略系図 |
水野家と松平家 |
於大の方(おだいのかた)は、15歳で徳川家康を生みます。
徳川家康が3歳のとき、 実家の水野家と徳川家が敵対関係になり、 離縁されます。
その間、於大の方は、徳川家康のもとへお菓子、手縫いの着物、
心のこもる手紙を送り励まし続けます。
1560年、徳川家康(18歳)は於大の方をたずね、
16年ぶりに再会します。
この年は、桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に討たれます。
徳川家康は、岡崎城に戻って今川家から独立し、
人質生活を終えます。
このあと、於大の方は、家康のもとで暮らすようになります。
1602年には、後陽成天皇に謁(えっ)します。
於大の方は伏見城で亡くなります。
京都の知恩院で法会(ほうえ)にふされます。
家康は母の 於大の方 の菩提を弔うために寺領を寄進します。
於大の方の遺骸は、江戸の伝通院にほうむられました。
伝通院は 於大の方の法名です。
愛知県知多郡 東浦(ひがしうら )町: 於大の方(おだいのかた)出生地
「於大公園」を整備し、毎年「於大まつり」を催す
【追】土井利勝
徳川幕府の大老 土井利勝は、於大の方の水野家の出です。
伝通院(でんづういん) 於大の方
【2分】於大の方とはどんな人物だったのか
【追】 於大の方 の母について
徳川家康が駿府に送られると、今川義元の元で、元服するまでの8年間、徳川家康の育成にあたります。
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