築山殿(つきやまどの。瀬名)。今川義元の姪。徳川家康の最初の正妻 <戦国の姫たち
築山殿(つきやまどの。瀬名) |
・1542? - 1579年9月19日
築山殿は、今川義元の姪です。
駿府で徳川家康の正妻になり、
信康と娘を生みます。
桶狭間の戦いで、今川義元が討ち死にします。
岡崎と駿河 |
徳川家康が地元の岡崎に取り戻します。
その間、築山殿の父は、今川氏真(うじざね)の命で切腹します。
つまり、築山殿にとって、徳川家康は
「大恩ある今川氏を裏切り、
私たち親子を見捨て、
父を死にいたらしめた」
夫です。
徳川家康の母も祖母も駿府で
徳川家康の面倒を見ます。
僧侶で、今川義元の軍師参謀である太原雪斎も
家康の面倒も見ました。
今川義元は徳川家康を今川の重臣にするつもりでした。
今川義元は徳川家康を今川の重臣にするつもりでした。
築山殿は、徳川家康の地元の岡崎では、
築山の近くの屋敷でくらします。
築山殿の息子 徳川信康が、織田信長の娘 徳姫と結婚します。
織田信長の娘 徳姫が、父 信長に手紙で訴えます。
「母の築山殿、夫の信康が、武田と内通しています」
※今川義元の正室は、武田信虎(信玄の父)です。
織田信長の意向もあり、築山殿は惨殺され、
徳川信康は自害に追い込まれます。
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