小泉八雲が「tsunami(津波)」を世界語に広めた

 ラフカディオ・ハーン/* wp

tsunami という日本語を世界に紹介したのは、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)です、1897年(明治29年)のことです。

* 改訂 新・小泉八雲暗唱読本(英語・日本語対訳版)
下から6題目に下が。
「Tsunami…………津波」


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【小泉八雲(ラフカディオ・ハーン Lafcadio Hearn)の年表】

1850年- 1904年(明治37年) 満54歳没
1850年  ギリシャに生まれる。

著名な日本紹介者

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八雲は、父はアイルランド人、母はギリシャ人のもとで生まれました。
2歳の時に、離縁し父のアイルランドで住むようになります。

ギリシャは、神話の国。
アイルランドは、妖精の国。
日本も神仏混淆の国、ということで、一神教のヨーロッパには不満な理想的な土地でした。

1896年(明治29年)、岩手県釜石市の東方にマグニチュード8.以上の巨大地震が起こりました。
明治三陸地震といいます。

これら地震津波を体験し、また出雲神社や伊勢神宮での遷宮(本殿を移すこと)を確認した小泉八雲は、自然は動くもの、自然は神以上のもの、感得するようです。


小泉八雲の生涯小泉八雲記念館

※ 
Hearn (八雲の本名)→ 「ハウン」→ 「八雲」と指摘もあります。

【cf.】
小泉八雲の3代目の孫。小泉八雲記念館顧問の小泉凡。著書『怪談四代記 八雲のいたずら』。蒲田健。2014/08/28。

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