大河ドラマ「おんな城主 直虎」。戦国時代の勢力図
navicon。02月25日
直虎の時代の他の地方の勢力図をご紹介!
日本史で習ったあの戦国武将が、あの事件が、実は同時期に起きていた!?
戦国時代の勢力図がわかれば、ドラマが2倍楽しくなるはず!
検地の騒動はあったものの、何とか収まり、直親の世継ぎ問題はあるものの井伊は平穏の時を迎える。まさに嵐の前の静けさ。その後に控える桶狭間の戦いに備えるかのように平和な時が流れるという。
しかし、一歩井伊谷の外に出ればそこは戦国の世。日本各国で群雄割拠、多くの戦乱が起きていた。
今週と来週の2倍楽しむでは、この時代、1560年ごろの世の状況を2週にわたってご紹介。日本史の教科書的にはどんな時代なのかを見ていくことで、井伊谷の状況にも新たな発見がある、かも。
■東北地方~伊達氏によってかき乱された?統治に努めた雪国武将たち~
しかし、一歩井伊谷の外に出ればそこは戦国の世。日本各国で群雄割拠、多くの戦乱が起きていた。
今週と来週の2倍楽しむでは、この時代、1560年ごろの世の状況を2週にわたってご紹介。日本史の教科書的にはどんな時代なのかを見ていくことで、井伊谷の状況にも新たな発見がある、かも。
■東北地方~伊達氏によってかき乱された?統治に努めた雪国武将たち~
まずは現在でいう東北地方から。東北地方で有名な戦国武将と言えば伊達政宗が有名な伊達氏や芦名氏、最上氏、長尾氏、佐竹氏などが有名どころ。と言ってもあまり知らない、という人も多いのでは。それもそのはず。京都から離れた東北地方では全国統一を目論む武将よりも、自国の繁栄をするために活動した武将の方が多かったという。
そのため、地元では有名でも全国的には有名ではない、という武将が多いのが特徴的である。そんな東北地方において全国区の知名度を誇るのが伊達氏である。
出典:白地図図鑑 加工:navicon伊達氏では1536年、14代当主・伊達稙宗が当時としては最大規模の分国法・塵芥集を制定。国内の統治に努めたが、この国内重視が仇となりお家騒動が発生する。稙宗の嫡男・晴宗を擁立する家臣の一部との間で天分の乱が勃発したのだ。これが1542年から1548年ごろの出来事。丁度、井伊氏では直満が小野に謀殺されたと言われている頃である。
この天分の乱は東北地方全体を巻き込むような大騒動に。その結果、晴宗が伊達氏当主となったのだが、長引く戦乱により伊達氏の勢力は縮小。統治していたはずの諸大名の独立を許す形となった。伊達氏は米沢城に拠点を移し、伊達政宗の出現まで、影をひそめる存在となった。その結果、東北地方の勢力図は図の通りとなったと言われている。
そんな北条氏に加え、長尾氏、武田氏が絡むのが関東地方の戦乱の図。もともと、この三氏は駿河の今川氏も交えながら敵対していたのだが、この勢力図に大きな変化が起きたのが1554年のこと。ドラマ内でもあった通り、今川、武田、北条の3氏が同盟を結ぶのだ。
甲相駿三国同盟である。これは歴史上大変大きな出来事であり、武田氏、北条氏は長尾氏(上杉氏)との戦いを本格化させることが出来、今川氏は戦う対象を織田氏に絞ることが出来た。
その結果、北条氏の領土はさらに拡大、隆盛を極めた。が、裏では北条を討伐する動きが。それが実際に行動に移されたのが小田原城の戦い。北条、武田の元、息をひそめていた長尾景虎(のちの上杉謙信)が北条討伐軍へ向けて出陣。関東の名家たちがこぞって長尾の下へ参陣。一気に長尾氏の勢力が拡大していく。
実は、この戦いが行われたのは桶狭間の戦いと同年1560年。奇しくも甲相駿三国同盟のうち二国はこの年から勢力を縮小していく。
その勢力縮小前の領土図は示した通り。特に小田原城の戦いでは、たった一年で北条の領土が一気に半分ほどになってしまうのだから戦国時代は恐ろしい。
例えば、1555年。井伊谷では亀之丞の帰還で祝福ムード一色だったころ、武田氏は最強の武将・武田信玄が筆頭に度重なる長尾氏との戦いを行い、一方で、木曽を下していた。
その翌年1556年には東海の有力武将・斉藤道三が嫡男・義龍によって討たれている。
そして、桶狭間の戦いの前年1559年に織田氏が終わりを統一。とはいえ、まだまだ小さな領土。そんな1560年ごろの勢力図は御覧のとおり。誰も織田がものの20年後に日本の中心部を掌握する武将だとは思わなかったことだろう。
と、ここまで東北、関東、東海と、大変簡易な勢力図を見てきたが、数多くの戦国武将が存在していたのがわかるだろう。
これがものの30年後には豊臣秀吉によって一色に染められてしまうのだから、いかに直虎が生きた時代が激動の時代だったのかお分かりいただけることだろう。
近畿、中国、四国、九州は来週見ていくこととするが、ドラマ内、井伊の穏やかさが、どんなにつかの間で幸せなことだったのか。その平和さをかみしめながらドラマを楽しみたい。
この天分の乱は東北地方全体を巻き込むような大騒動に。その結果、晴宗が伊達氏当主となったのだが、長引く戦乱により伊達氏の勢力は縮小。統治していたはずの諸大名の独立を許す形となった。伊達氏は米沢城に拠点を移し、伊達政宗の出現まで、影をひそめる存在となった。その結果、東北地方の勢力図は図の通りとなったと言われている。
■関東地方~戦国時代の恐ろしさがわかりやすい地域No.1?北条氏に大注目~
出典:白地図専門店 加工:naviconそんな東北地方のお隣、関東地方。そこで勢力を誇った戦国武将と言えばなんといっても北条氏。北条早雲に始まり小田原城を中心に関東地方に勢力を誇った名家である。そんな北条氏に加え、長尾氏、武田氏が絡むのが関東地方の戦乱の図。もともと、この三氏は駿河の今川氏も交えながら敵対していたのだが、この勢力図に大きな変化が起きたのが1554年のこと。ドラマ内でもあった通り、今川、武田、北条の3氏が同盟を結ぶのだ。
甲相駿三国同盟である。これは歴史上大変大きな出来事であり、武田氏、北条氏は長尾氏(上杉氏)との戦いを本格化させることが出来、今川氏は戦う対象を織田氏に絞ることが出来た。
その結果、北条氏の領土はさらに拡大、隆盛を極めた。が、裏では北条を討伐する動きが。それが実際に行動に移されたのが小田原城の戦い。北条、武田の元、息をひそめていた長尾景虎(のちの上杉謙信)が北条討伐軍へ向けて出陣。関東の名家たちがこぞって長尾の下へ参陣。一気に長尾氏の勢力が拡大していく。
実は、この戦いが行われたのは桶狭間の戦いと同年1560年。奇しくも甲相駿三国同盟のうち二国はこの年から勢力を縮小していく。
その勢力縮小前の領土図は示した通り。特に小田原城の戦いでは、たった一年で北条の領土が一気に半分ほどになってしまうのだから戦国時代は恐ろしい。
■東海地方~有名武将の宝庫!最も大河ドラマになる地域?~
出典:白地図専門店 加工:navicon日本の中心、東海地方は戦国武将の宝庫である。ドラマで重要な今川氏はもちろん、武田氏、織田氏、上杉氏、真田氏など大河ドラマの題材にもなった有名どころが名を連ねているが、1560年ごろは武田、今川、斎藤の領土がほとんどである。しかし、そこに至るまでにも様々な戦いがあった。例えば、1555年。井伊谷では亀之丞の帰還で祝福ムード一色だったころ、武田氏は最強の武将・武田信玄が筆頭に度重なる長尾氏との戦いを行い、一方で、木曽を下していた。
その翌年1556年には東海の有力武将・斉藤道三が嫡男・義龍によって討たれている。
そして、桶狭間の戦いの前年1559年に織田氏が終わりを統一。とはいえ、まだまだ小さな領土。そんな1560年ごろの勢力図は御覧のとおり。誰も織田がものの20年後に日本の中心部を掌握する武将だとは思わなかったことだろう。
と、ここまで東北、関東、東海と、大変簡易な勢力図を見てきたが、数多くの戦国武将が存在していたのがわかるだろう。
これがものの30年後には豊臣秀吉によって一色に染められてしまうのだから、いかに直虎が生きた時代が激動の時代だったのかお分かりいただけることだろう。
近畿、中国、四国、九州は来週見ていくこととするが、ドラマ内、井伊の穏やかさが、どんなにつかの間で幸せなことだったのか。その平和さをかみしめながらドラマを楽しみたい。
0 件のコメント:
コメントを投稿