エドワード・モース。東京の大森貝塚を発見する。川越氷川神社の彫刻を絶賛
エドワード・モース |
大森貝塚とモース博士 ~日本考古学の出発点~ 品川区 【+10】
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以下は、加瀬英明「生まれながらの自制心」 より抜粋編集です。
日本は自制する文化である。
江戸時代に日本を訪れた西洋人はきづいた。
高官も、富裕な者も、地位や富を顕示するような身なりをしなかった。
みせびらかすのは、野暮とされていた。
日本人は世界のなかで、もっとも寡黙な民族である。
今日でもはっきりした自己主張を避け、曖昧な言いまわしをする。
論理性がないわけではなく、和を重んじるからである。
エドワード・モース(1838~1925)はアメリカの動物学者で、明治10年(1877)に来日し、東京帝国大学で教えた。
大森貝塚の発見と調査によって、知られている。
モースは著者『その日その日の日本』のなかで、つぎのように述べている。
「驚くことには、善徳や品性を、日本人は生まれながらに持っているようである。
衣服の簡素、家庭の整理、周囲の清潔、自然及びすべての自然物に対する愛、
あっさりして魅力に富む芸術、挙動の礼儀正しさ、他人の感情に就いての思いやり(略)
これ等は恵まれた階級の人々ばかりでなく、最も貧しい人々も持っている特質である」
日本では、日常生活が暗黙の合意によって、律しられていた。
誰もが実直で、礼節を守り、義理堅く、律義だった。
江戸の人々は共通の価値観のもとで生活していたから
「世間体」が何よりも大事だった。
世間の人々との人間関係が、天と同じように重要だった。
日本の場合は、社会そのものが人を見守る天であり、人々を束ねる役割を果たしていた。
人々はそのために、人間関係の絆を何よりも大切にした。
人間関係が社会道徳を支えていた。
もし、社会規範に背くことがあったら「世間体が悪い」といって、一族ぐるみで恥じた。
全員、名誉心が強かった。
私(加瀬英明)はビートルズのジョン・レノンと、親しかった。
ジョンは私の従姉と結婚して、ニューヨークの日本語学校に通っていたが、
「お陰様で」という表現が、世界の言葉のなかでもっとも美しいということを口癖にしていた。生かされていることを、天に、人に社会に感謝する謙虚な精神を、するどく感じ取っていたのだ。
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