慈眼堂入り口 訪れる人もなく森閑としています。
慈眼堂の拝殿
六部天像がまもる天海僧正の廟(びょう)塔
天海像、神橋(しんきょう)付近
慈眼(じげん)大師・天海の霊廟(れいびょう)を慈眼堂といいます。
天海は、3代の将軍にあつく信任されました。
天海、家康、家光会談の図
家光は、慈眼堂のすぐ上に、いつも天海僧正のおそばにいられるようにと、
自分の大猷院(だいゆういん)を配しました。
大猷院、慈眼堂の位置【地図】
また、大猷院は、祖父家康の東照宮を凌駕しないように、
東照宮の下方に、黒と金色の落ち着いた雰囲気でまとめられています。
家光廟(びょ う)の大猷院 (たいゆういん)は日光に
家光は、天海が病に伏せたとき、
1ヶ月余の間に4回も上野の寛永寺に見舞っています。
将軍直々の見舞いは異例のことです。
医者を2人、20人の従者をつけたといわれています。
天海僧正の上野から日光への移送の行列は1000人以上におよんでいます。
----------
家光にとって母の代わりが春日局、父の代わりが家康でした。
お守りに「東照大権現 慈眼大師 家光」と記されているように、
家光にとって、3人はいつも、遺体となっても、一緒の地に眠ることになっていました。
----------
その他の慈眼堂
川越の喜多院の慈眼堂
大津市の慈眼堂
----------
天海僧正関係コラム まとめ
0 件のコメント:
コメントを投稿