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2014年6月21日、富岡製糸場が世界文化遺産に登録決定しました。
富岡製糸場(とみおかせいしじょう、Tomioka Silk Mill)は、1872年(明治5年)、日本で最初の官営の製糸場として誕生しました。
ユネスコは「19世紀末期に養蚕(ようさん)と生糸(きいと)産業の革新に決定的な役割を果たし、日本が近代工業国に仲間入りする鍵となった」と歴史的な価値を高く評価しています。
富岡製糸場は、フランス人技師が設計、指導してできた世界最大規模の製糸工場です。
19世紀後半の工場がほぼ完全な形で残っており、世界的にも例がありません。
日本の外貨獲得の稼ぎ頭で、6割も稼いだこともありました。
日本近代化の手本です。
当初は、旧藩士や氏族・華族の子女たちのエリート女性工員が全国から集ってきました。
彼女たちは、羨望を込めて「富岡乙女」と呼ばれました。
工女の中には、フランス女性もいました。
労働時間は1日約8時間で、週1日の休みがありました。
夏冬に10日間の休暇がありました。
食費や寮費などは不要で、公務員の待遇を受けていました。
しかし、
経営が悪化し、現・片倉工業の手を経て、
1987年操業を終えました。
経営悪化は、絹の輸出先のアメリカとの戦争が大きな原因でした。
<※ 満蒙開拓団が中国満州へ出かけたのは、絹不況が背景にありました。
長野県出身者が多かったようです。>
現・片倉工業は、操業停止後も、資金をそそぎ、壊すことなく保存しました。
富岡製糸場.
画像
富岡製糸場 【アニメ】
片倉工業株式会社富岡工場
富岡製糸場と絹産業遺産群 ウィキペディア
*富岡に製糸工場を誘致するには、富岡市民が開明的であったことが力を発揮しました。
*富岡学が盛んになるでしょう。
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【埼玉県深谷市】
深谷市は
製糸場の設立に尽力した渋沢栄一、
初代工場となった尾高惇忠(じゅんちゅう)、
製糸場のレンガを担当した韮塚直次郎(にらづか なおじろう)
の出身地です。
深谷の3偉人です。
渋沢栄一は、このあと500の会社をつくります。
韮塚直次郎のレンガつくりの建物は、日銀、東大へと続いていきます。
渋沢栄一記念館など富岡製糸場ゆかりの地への観光客がふえています。
富岡製糸場と深谷の偉人たち
【追】桑原について
桑原はmulberry field(マルベリー フィールド)です。
カイコに食料を提供する桑の原のことです。(桑原政則記)
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