北条早雲終焉の地、韮山城跡にクロマツ植樹。<Yomiuri

2015年02月17日 Yomiuri Online  を編集


北条早雲関係地図  /wp

伊豆討ち入り /wp

 戦国大名・北条早雲の終焉えんの地の韮山(にらやま)城跡(伊豆の国市韮山)で12日、生誕地とされる岡山県井原市のクロマツが植樹された。両市は「早雲の生誕、終焉の地として、交流を深めたい」と、歴史の取り持つ縁を育んでいく姿勢だ。

 両市によると、小田原北条氏の祖、早雲は現在の井原市にあたる地域に生まれ育ったと伝えられる。後に駿河今川家の家臣として頭角を現し、興国寺城(沼津市)を経て韮山城を本拠にした。1519年、韮山城で没し、早雲寺(神奈川県箱根町)が北条氏の菩提ぼだい寺となった。

 韮山城には、豊臣秀吉による1590年の小田原征伐の際に約4万4000人の軍勢から囲まれた北条氏側が、城兵約4000人で3か月籠城したという逸話がある。この時に開城し、1601年に廃城になったとされる。

 城跡は、江戸時代に代官を務めた地元の旧家・江川家が所有している。保存状態は良好で、周辺には豊臣方の砦とりで跡が残り、多くの歴史ファンが訪れる。加えて、クロマツの名所としても知られる。

 しかし、1999年の住民による調査で約580本を数えたクロマツは近年、マツクイムシや山林整備などで数が激減してきた。伊豆の国市教委によると、現在はわずか50本ほどしかなくなってしまったという。

 クロマツの復活を望む伊豆の国市は、井原市に「生まれ故郷の若木を植えたい」と協力を要請。クロマツを「市木」に指定している井原市は快く応じ、10本を寄贈した。

 今月12日には、三の丸の土塁近くで植樹式が行われ、両市関係者の手で7本が植えられた。伊豆の国市の小野登志子市長は「早雲と韮山城の関係を知ってほしい。若木は大切に育てたい」と話した。井原市の滝本豊文市長は「韮山城跡から見下ろす景色は、早雲の故郷周辺にそっくりで、心境が分かる気がした。両市の絆が深まれば、早雲も喜ぶはず」と語った。

2015年02月17日

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