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山・鉾(ほこ)・屋台行事がユネスコ無形文化遺産

山・鉾・屋台行事(やま ほこ やたいぎょうじ)がユネスコ 無形文化遺産に 八戸三社大祭の山車行事 〔読み〕はちのへさんしゃたいさいのだしぎょうじ 〔所在地〕青森県八戸市 角館祭りのやま行事 〔読み〕かくのだてまつりのやまぎょうじ 〔所在地〕秋田県仙北(せんぼく)市 土崎神明社祭の曳山行事 〔読み〕つちざきしんめいしゃさいのひきやまぎょうじ 〔所在地〕秋田市 花輪祭の屋台行事 〔読み〕はなわまつりのやたいぎょうじ 〔所在地〕秋田県鹿角(かづの)市 新庄まつりの山車行事 〔読み〕しんじょうまつりのやたいぎょうじ 〔所在地〕山形県新庄市 日立風流物 〔読み〕ひたちふりゅうもの 〔所在地〕茨城県日立市 烏山の山あげ行事 〔読み〕からすやまのやまあげぎょうじ 〔所在地〕栃木県那須(なす)烏山市 鹿沼今宮神社祭の屋台行事 〔読み〕かぬまいまみやじんじゃさいのやたいぎょうじ 〔所在地〕栃木県鹿沼市 秩父祭の屋台行事と神楽 〔読み〕ちちぶまつりのやたいぎょうじとかぐら 〔所在地〕埼玉県秩父市 川越氷川祭の山車行事 〔読み〕かわごえひかわまつりのだしぎょうじ 〔所在地〕埼玉県川越市 佐原の山車行事 〔読み〕さわらのだしぎょうじ 〔所在地〕千葉県香取(かとり)市 高岡御車山祭の御車山行事 〔読み〕たかおかみくるまやままつりのみくるまやまぎょうじ 〔所在地〕富山県高岡市 魚津のタテモン行事 〔読み〕うおづのたてもんぎょうじ 〔所在地〕富山県魚津市 城端神明宮祭の曳山行事 〔読み〕じょうはなしんめいぐうさいのひきやまぎょうじ 〔所在地〕富山県南砺(なんと)市 青柏祭の曳山行事 〔読み〕せいはくさいのひきやまぎょうじ 〔所在地〕石川県七尾(ななお)市 高山祭の屋台行事 〔読み〕たかやままつりのやたいぎょうじ 〔所在地〕岐阜県高山市 古川祭の起し太鼓・屋台行事 〔読み〕ふるかわまつりのおこしだいこやたいぎょうじ 〔所在地〕岐阜県飛騨(ひだ)市 大垣祭のやま行事 〔読み〕おおがきまつりのやまぎょうじ 〔所在地〕岐阜県大垣市 尾張津島天王祭の車楽舟行事 〔読み〕おわりつしまてんのうさいのだんじりぶねぎょうじ 〔所在地〕愛知県津島市、愛西(あいさい)...

日本を嫌っていても日本旅行に行きたがる中国人

日本を嫌っていても日本旅行に行きたがる中国人 2016-12-18 Searchina  日本政府観光局によれば、2016年1-10月に日本を訪れた中国人外客数は551万2700人に達した。15年の中国人訪日客数は過去最高を記録したが、16年はそれをさらに上回るペースとなっている。  中国メディアの一点資訊は15日、日本を訪れる中国人が増えていることに対し、「日本を嫌いだと口にしながらも、 実際には日本旅行が好きでたまらない中国人がいる 」と伝えつつ、中国人から見た日本の魅力について考察している。  記事は、日中国民を対象に行われた世論調査では「日本に対して親しみを感じない中国人の割合は非常に高い」にもかかわらず、日本を訪れる中国人は年々増加していると指摘。「日本を嫌っていたはずの中国人が日本に行きたがるなんて、いったい日本は中国人に対して何の薬を飲ませたのか」と形容したうえで、日本には中国人を惹き付けるどのような魅力があるのだろうかと疑問を投げかけた。  続けて、中国人を惹き付ける日本の魅力について、まずは「 空気がきれいで、透き通る空 」を挙げ、大気汚染が深刻化する中国に対し、「日本の空気のきれいさはアジア随一だ」と主張。さらに、 静かできれいな街 も中国人にとっては日本の魅力の1つだと指摘した。  さらに、日本には 中国人がほしいと思う製品が数多くあり 、街を歩いていて見かけるドラッグストアは中国人にとって非常に楽しい場所であると紹介。また、日本のサービスは「世界最高水準」であり、買い物をしていても 微笑みながら対応してくれる店員のサービス は非常に気持ちの良いものだとした。  また、購入した製品をどこかで失くしてしまっても、日本では「警察に落とし物として届いている可能性が高い」と指摘、 スリや窃盗に対する心配もなく、安心して滞在できる治安の良さも魅力 だと主張したうえで、こうした魅力こそ中国人が日本に惹き付けられる理由であり、「日本を嫌いだと口にしながらも、実際には日本旅行が好きでたまらない中国人がいる」理由だと論じた。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)

川越では、空き家が激増。住宅の立地誘導が必要。nk2016-12-18谷隆徳 

週刊現代 2016-12-12   ぶちぬき大特集  ”老いる家  傾くマンション  くずれるまち” ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ 空き家が激増。住宅の立地誘導が必要  2016/12/18 時流  論説委員 谷隆徳  *タイトルを一部修正  全国で空き家の増加が問題になっている。人口減少社会に突入し、住宅に対する需要が徐々に減ってきたことだけが理由ではない。供給面からみると、もうひとつ別の理由が浮かび上がってくる。  蔵造りの町並みが 「小江戸」と呼ばれ人気の埼玉県川越市 。 市内の南東部 に向かうと近隣に農地もある地区の一角に、まだ真新しい建売住宅群が見えてくる。 ここは開発を抑制する市街化調整区域だが、市が条例で規制緩和し、建設が可能になった物件 だ。   市が規制緩和に踏み切ったのは2006年5月 。道路への接続など一定の条件をつけたものの、それ以降どこでも住宅を建てられるようになった。市の想定以上に宅地開発は進み、 5年半の間に開発許可を受けた件数は約1400件、5700区画に上った 。  その結果、市の人口は増えた一方で、突然の開発ラッシュが周囲の環境を変えた。 生活排水の流入に伴う水路の悪臭に対して、近隣の農家などから苦情が 殺到した。新たな宅地では公共下水道の代わりに浄化槽を設置しているが、新住民の維持管理がずさんだったために起きた事態だ。  逆に、 新住民からは農薬散布や堆肥のにおいに 不満が上がった。地価が安い調整区域に開発がシフトした結果、 街なかでの不動産取引が落ち込む という副作用もあった。  「子育て世代が増えるなどプラス面もあったが、虫食い開発に伴う弊害が広がってきた」(刀根則明・市開発指導課長)と、 市は11年10月に開発に対する規制を06年以前の状況に戻した。現在、市はコンパクトな街づくりへ、かじを切り始めている 。  行き過ぎた規制緩和を見直した川越市はまだいいのだろう。今も全国各地で宅地開発が続いている。13年だけでも、東京ドーム約960個分に当たる4500ヘクタールの農地が住宅地に変わった。  日本の 住宅建設の大きな問題点は、再建築率が著しく低い ことだ。住宅着工戸数全体に対...

これからは成長が望めぬ社会。by平川克美

成長望めぬ社会 平川克美さんに聞く 皆で不満分かち合おう 若者は気づいている 経済成長を前提としたシステムが揺らぎ始めている 2016/12/3 nk   ※→桑原政則注  米大統領選でのドナルド・トランプ氏の勝利に英国のEU離脱、そして相次ぐテロ。先進国が人口増大から人口減少へ、経済成長社会から物価などが下がって全体としてバランスするような「定常化経済社会」へと移行する文明史的転換期を迎え、「移行期的混乱」にあるのが背景と、事業家・文筆家で立教大学大学院客員教授の平川克美さん(66)は説く。  「国民国家、デモクラシー、インターナショナリズムといった世界秩序の根幹が揺らぎ始め、代わって グローバル市場、強権的指導者による迅速な意思決定システム、排外的な競争主義としてのナショナリズムという新秩序が つくられようとしています。おおまかに言ってこのように今の世界をみています」  「旧来の価値観が揺らいでいる 大きな原因は、先進国では経済成長が難しくなった ということでしょう。株式会社は経済成長を前提としたシステム。成長するから投資家は出資する。金利にしても年金にしても我々を取り巻く全てのシステムが成長を前提に形作られている。 成長が止まってしまうと、システムの基盤が揺らいで いく」  「そりゃ、できれば成長した方がいい。しない方がいいとは思っていません。ただ、もう、難しくなっているんです。 日本は向こう50年は人口減少フェーズが続く。人口減少はマーケットの減少に つながる。いまは総需要は頭打ちで、物価が下がってバランスしている定常化経済の段階にあります」  政府などはデフレスパイラルに陥るのは良くない。かつてのような高度成長は無理だとしても、緩やかな成長が国民生活の安定につながるとの立場だ。  「成長論者は希望を言っているだけなんですね。成長すればすべてがうまく回る。成長してくれたらいいなと。だが、現実をよく見て下さい。日銀の物価上昇目標はいつまでたっても実現しない。所得格差は広がる一方です。定常化に即した経済運営がなされてない」  「若い人たちは気づいていますよ。私の大学の教え子は1990年代の生まれ。ものごころ付いた時から経済は定常化した状態にあります。我々の世代は年収500万円は見込めた。しかし今の若い人は大会社にでも入...

川越城:江戸の背後を守った城。 小柴 皐月

川越城:江戸の背後を守った城  小柴 皐月  2016年12月02日  老友新聞 東京からほど近い、小江戸と親しまれ趣きのある見どころも多い街川越。ちょっとした行楽気分で訪れることが出来る川越城をご紹介いたします。 川越城の創築は太田道灌父子と伝えられています。当時 対立していた古河公方足利氏に対抗するために築城 され、創築期の規模の資料はなく不明ですが、「川越記」などによると、 入間川流域の段丘と低湿地を要害 として、当初の規模は本丸・二の丸程度だったと考えられています。 後北條氏配下、小田原城の支城として重臣の大道寺氏が入場 していましたが、天正十八年、 豊臣秀吉による関東攻略時に前田利家により落城 。その後、 徳川家康が関東に移るに際し、江戸城の北の守り神と定め 川越城を重視し、三河以来の重心であった 酒井重忠 を配しました。 その後も、江戸の北を固める重要な基点として、 徳川家に忠誠を尽くす譜代が城主を歴任し、松平信綱、柳沢吉保の老中職をはじめ多くの幕臣の重鎮 を送り出し、 川越城は老中職の居城 というイメージがあります。 平山城である 川越城は武蔵野台地の北東端にあり、その防備には西から北を流れる入間川、北を赤間川、東を伊佐沼の自然の要害に囲まれて います。比高差はないものの河川と沼沢地によって堅牢性が確保されてした城を、徹底した 大改修を加え、老中職の居城にふさわしく生まれ変わらせたのは、寛政十六年に城主になった 松平信綱 です。 一国一城令、武家諸法度発布以降の城域拡大の例は大変少なく、信綱が許されたのは北の守りとしての重要性の他に、信綱が幼少時より家光の小姓として寵愛を受けていたことによると考えられています。 信綱は城下町の整備にも着手し、五の字型と呼ばれる町割りを基本とし、城を攻めにくく、守り易くするために、袋小路、七曲り、鍵の手などによる町割りの工夫をしています 。 街道の整備、水運開発も 特筆されるものです。水陸の流通路確保により、江戸に直結する物資供給地として栄え、文化面でも「小江戸」と呼ばれるまでに発展を遂げたのです。 川越城には嘉永元年に再建された御殿の玄関付近大広間と家老詰所のみが現存しています。全国的にも数少ない遺構です。 玄関付近広間 は御殿の中ても最大規模で、老樹の...

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日本人は「人口急減の恐怖」を知らなすぎる:森田朗

日本人は「人口急減の恐怖」を知らなすぎる:森田朗     東洋経済 2016-12-09