薩摩藩の祖 島津忠久は、武蔵国の出身 <川越の先人
源頼朝は北武蔵一帯を検地し、広大で肥沃な平野であることを見て重要視します。
このとき頼朝は都幾川村の慈光寺に銅鐘を奉納しています。
河越氏初代の河越重頼は、源頼朝の勧めで、比企氏の次女と結婚しました。
源頼朝は、河越氏と近隣の比企氏を結びたがっていました。
河越重頼と比企氏の次女の間に生まれた娘はやがて、源義経の妻となりました。
比企氏の長女は、島津忠久を生み、薩摩の島津氏の祖となりました。
島津忠久は鎌倉で生活しますが、比企氏の縁者であったことで、薩摩の守護に任じられ、薩摩藩の祖となりました。
島津家には「島津忠久は源頼朝の子供」という言い伝えがあります。
島津忠久が建てた鹿児島の花尾(はなお)神社は、源頼朝と忠久の母を祀っています。
(※2008年鹿児島市吉野町にて、島津氏32代当主・島津 修久氏にお会いしました。
その際、薩摩藩祖 島津忠久は比企の乱に関係していたことを談義しました。 また、『集成館事業 島津斉彬の挑戦』尚古集成館を拝受しました。尚古集成館 )
(cf:桑原政則「川越の先人」 『川越の文化財』川越市文化財保護協会 136号、2020年10月、抜粋 )
0 件のコメント:
コメントを投稿