酒井忠勝。第3代川越藩主。徳川家光は「我が右手は酒井忠勝、左手は松平信綱」と信頼。<川越。小浜
酒井忠勝。第3代川越藩主。 徳川家光は 「我が右手は酒井忠勝、左手は松平信綱」と信頼。<川越。小浜 酒井忠勝 ・1587年7月21日~1662年8月25日没 酒井忠勝は、31年間にわたり徳川家光に仕えました。 川越藩の第2代藩主、後に若狭国小浜藩の初代藩主 です。 小浜は若狭(福井)の西部 川越の時の鐘は、酒井忠勝 がつくったものです。 徳川家光は酒井忠勝を特に信任し、 「 我が右手は酒井忠勝、我が左手は松平信綱 」と述べました。 老中、大老の要職につきました。 酒井家は、将軍家の親族です。 現在の皇室とも、つながっています。 川越藩の 初代は酒井重忠、2代は酒井忠勝 です。 川越と小浜(おばま)は姉妹都市 1634年、酒井忠勝は 若狭(わかさ)小浜城へ栄転 となりました。 若狭(わかさ) は、京に近く港を抱えた有力藩でした。 酒井忠勝は、獅子舞を愛好するあまり雌雄2頭を川越から若狭(わかさ)へ携えて行ってしまいました。 石原のささら獅子舞 【動画】 酒井重忠。家康に直接仕えた川越藩の初代藩主 ---------- 戦国時代、浅井(あざい)三姉妹・茶々、初(はつ)、江(ごう)のうち、 初は京極 高氏に嫁ぎ、小浜城に居を構えました。 徳川家光は、酒井忠勝とは衆道関係で、忠勝の家に150回遊びに行っています。 (福留真紀 「川越藩主 初代 酒井重忠・2代 酒井忠利・3代 酒井忠勝 について」 2022年1月29日 )