松平信綱は、島原・天草一揆で、オランダ船に頼み、一揆軍を攻撃
島原・天草一揆のときに
松平信綱はオランダ船に頼んで
原城跡(長崎県 南島原)に立てこもる農民たちを砲撃することを命じました。
原城跡:長崎県 南島原市
オランダはどんな立場だったのでしょうか。
オランダは、
「キリスト教の布教には一切関わらない」
という誓約を幕府にしました。
それで、
幕府は、ヨーロッパで唯一貿易を許した国にしました。
つまり、オランダは
「我々はキリスト教とは関係ないです」
という約束をすることにより、
日本・ヨーロッパ間の貿易権益を独占しました。
たいへんな利益でした。
日本のキリシタンは、スペインの教えを信じるカトリックです。
そのころ、ヨーロッパでは、
カトリックとプロテスタントは、
血で血を洗う「宗教戦争」を戦っていました。
オランダは、少し前までは、スペインの植民地でした。
カトリックのスペインは、
プロテスタントのオランダを弾圧していました。
だからプロテスタントのオランダが
カトリックの島原・天草一揆軍を攻撃するのは、当然のことでした。
オランダ船は、15日間にわたり、原城に砲撃を加えました。
キリシタンの原城の民は、戦意喪失し、投降しました。
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