2009年4月1日

天海の年譜

喜多院の天海像

  • 1536年
    会津で誕生します。
  • 1546年 11歳
    出家します。
    寺は天台宗の円仁(えんにん)創建の古刹(こさつ、古い寺)です。
    円仁は、最澄の弟子で、最後の遣唐使でした。天台宗を完成させた世界的な偉人です。
  • 1549年 14歳
    比叡山に入山します。
  • 1558年 22歳
    実母死去のため、一時会津へ帰郷します。
    その後、栃木の足利学校に入り、儒学、漢学、易学、国学、経済学、天文学、医学、兵学を学びます。
  • 1571年  36歳
    比叡山延暦寺が信長により焼き打ちに会いました。
    天海は、 明智光秀の世話で、山門の衆徒を引き連れて、信玄の元に身を寄せました。
    武田信玄に招かれ、天台宗について講義をしました。
  • 1573年
    会津に戻り4年間滞在します。
  • 1577年 41歳
    この年から5年間、群馬県の寺で修行を積みます。
    このように若いときから、天海は流浪の学問僧でした。
  • 1590年 54歳
    関東有数の大寺院、川越の無量寿寺に移ります。
    無量寿寺は円仁(えんにん)の創建になるものです。11歳で入ったお寺も円仁がひらいたものでした。
    無量寿寺は天台宗の関東総本山で580の寺を従えていました。
    しかし、このころは北院も中院も荒れ果てており、南院は墓地を残すのみでした。
    この年天海は、初めて江戸入りを果たした家康に謁見します。老体の無量寿寺の住職に代わってのことでした。 ここから天海の飛躍が始まります。
  • 1599年 64歳
    無量寿寺北院の住職になります。
    のちに喜多院、三興の祖といわれます。
  • 1600年 
    関ヶ原の戦いで家康の参謀をつとめます。
  • 1603年 68歳
    天海は家康に登用されます。
    江戸幕府開幕の年です。
  • 1607年
    この年から5年間家康の計らいで比叡山探題奉行となり、経営の秘訣を学びます。
    内輪もめの激しかった延暦寺を再興します。
    探題(たんだい)とは、宗教の最高の権威者のことです。
  • 1608年
    駿府城で家康に「山王一実神道(さんのういちじつしんとう)」を講義します。
    この後もしばしば家康に招かれ講義をします。
    家康(1542-1616)の将軍としての在職期間は1603年から1605年までです。
    その後は大御所として駿河に移ります。
    駿河は、京都と江戸の中間にあり、両方ににらみをきかせることが出来ます。
  • 1609年 74歳
    天海は天台宗の権僧正(ごんそうじょう)になります。
    権僧正は、大僧正、僧正に次ぐ地位です。
  • 1611年
    家康、川越に天海を訪問します。
  • 1612年 78歳
    天海は、家康の指示で、川越の無量寿寺北院を喜多院と改め、喜多院を関東天台宗の総本山に定め、山号を東叡山とします。
    家康は、関東天台宗の全権を喜多院に与えます。
    これにより家康は、朝廷側の比叡山の勢力を関東に移すことに成功します。
    家康は喜多院に天海を訪ねます。
  • 1613年 
    日光山の貫首(かんじゅ)も兼ねます。
    貫首とは、天台宗の大きなお寺の住職のことです。
  • 1616年 
    家康が死去します。
    葬儀の導師となり、静岡の久能山に葬ります。
    大僧正に任ぜられます。
    このとき家光は13歳です。
    家光は生涯で9回喜多院に天海を訪ねます。
  • 1617年 81歳
    家康に神号が朝廷から贈られます。
    天海の主張通り「東昭大権現」となりました。
    天海は導師となり、家康の遺骸を日光に移します。
    儀式は「山王一実神道(さんのういちじつしんとう)」でおこないます。
  • 1618年
    江戸城内に東照宮を勧請します。
  • 1623年
    2代将軍秀忠(1578-1632、在職1605-1623)が死去します。
    家光(1604-1651。在職1623-1651)が後を継ぎます。
    天海は、秀忠、家光の政治顧問格でした。
  • 1625年 90歳
    上野に寛永寺を建て、山号を喜多院から遷座し東叡山とし、関東天台宗総本山にします。
    喜多院の山号は以前の星野山にもどします
  • 1637年  102歳
    寛永寺において活字版大蔵経(だいぞうきょう)の開版を企てます。
    12年後に完成します。
    全6323巻です。
  • 1638年 103歳
    川越大火で、喜多院が全焼します。
    家光は自分の大切にしてきた誕生の間、春日局の間を江戸城の紅葉山から移築します。
    「家光誕生の間」「春日局の間」がこの世に残る江戸城の遺構です。
  • 1643年 108歳
    10月2日、天海死去します。
    1648年には慈眼大師の号を朝廷から賜りました。
  • (年齢は数えで1月1日生まれ換算です。)

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