2009年4月7日

川越は江戸の母

「東京都千代田区赤坂にある日枝神社の本社です」:川越の日枝神社の説明板

  1. 1457年、太田道灌は、川越城を築きました。同年に江戸城を築きました。
  2. そのとき、川越の日枝神社を江戸城内に分祀しました。
    100年以上ののち、天海は、 日枝神社を江戸城内から赤坂の位置に移しました。 
  3. 関東天台宗総本山である喜多院の東叡山(とうえいざん)という山号を上野の寛永寺に移します。
    これにより寛永寺は、関東の天台宗の総本山となり、やがて比叡山より強力になります。
  4. 幕府が開かれたころの江戸は、湿地帯で人が住めるような所ではありませんでした。
    江戸城はほぼ海に面していたような状態でした。
    台地はといえば、水の便が悪く、農業もできませんでした。
    川越よりはるかにちっぽけな村にすぎず、人家も100戸ほどでした。
    家康は居城を小田原か鎌倉に定めると思われていました。
  5. 川越、喜多院の天海が江戸の町を設計しました。
  6. 歴史的には、「川越は江戸の母」です。
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  • 台地では、農業ができず、馬や牛しか飼えなかったことは、地名に残っています。
    • 牛込、駒込、練馬、馬込、駒沢、上馬、下馬

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