2009/04/09

なぜ、上野に桜?

上野の花見。2003年4月6日 
不忍池の弁財天 
上野は花見シーズンには人でいっぱいです。

徳川3代の相談役・天海僧正は上野に桜を植える必要がありました。

それは、朝廷政治に対し、武家政治を確立し、江戸を守るためです。
天海僧正は、他にも、京に対抗するためのいろいろなしかけをつくりました。


京の鬼門を封じているのは、比叡山の延暦寺です。 
天海僧正は川越の東叡山を江戸の鬼門帯にある上野に移し、東叡山寛永寺を開きます。

比叡山は琵琶湖を従えており、竹生島(ちくぶじま)には弁財天がまつってあります。 
天海僧正は、不忍池(しのばずのいけ)を、強引に、琵琶湖に見立て、弁天島をつくり弁財天をおきました。




比叡山と東叡山

江戸
比叡山
→ 
東叡山
延暦寺
→ 
寛永寺
琵琶湖
→ 
不忍池
竹生島の弁財天
→ 
不忍池の弁財天
吉野の桜
→ 
上野の桜
御所
→ 
輪王寺
鴨川
→ 
隅田川


Ryodaishi 04.JPG
上野公園の輪王寺。http://goo.gl/thDHY
京には御所があります。 
天海は、御所代わりのものを必要としました。
輪王寺(りんのうじ)です。
初代の当主は、天皇の皇子でした。

天皇の聖地といえば「花の吉野」(奈良県)です。 
天海は、江戸にも「花の聖地」を必要としました。
こうして「花の上野」が誕生しました。
誕生秘話です。