ラーメンのハイディ日高が好調。神田正。2015/3


神田正。社長室にて、近影。 2013/8
ハイディ日高が好調です。
神田正社長に2013年12月の講演前にお話しをおうかがいしました。
プロフィールをお伝えします。


ハイディ日高、13期連続で営業益最高 今期単独5%増42億円   NK 2015/3/27

 ラーメン店「日高屋」を運営するハイデイ日高の2016年2月期の単独営業利益は、前期推定比5%増の42億円程度となる見通しだ。
13期連続の最高益更新となる。
駅前繁華街などの好立地に出店してアルコール類を拡充し、仕事帰りのサラリーマンなどの「ちょい飲み」需要を開拓する。

 売上高は8%増の370億円前後とみられる。前期末時点で360店あるが、今期は神奈川県や千葉県を中心に30店の新規出店を目指す。

 3月から紹興酒の販売を始め、居酒屋チェーンなどから客を奪う戦略だ。
つまみ類の注文も増えるため、客単価も伸びるとみている。

 社員の定着を狙い、高校生までの扶養家族がいる社員に月1万円の支給を始めるため、人件費は増える見通しだ。
ただ既存店売上高の伸びなどで吸収する。

 15年2月期は既存店の好調に支えられ、売上高は前の期比8%増の約345億円、営業利益は7%増の約40億円となったもようだ。


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【神田正 プロフィール】 (文責:桑原政則)

神田正は、1941年(昭和16年)、日高市に生まれます。
父は、傷痍軍人で働くことができませんでした。
家は貧しく、小6より霞ヶ関カンツリー倶楽部でキャディをします。
小学生では神田正のみでした。
身振り手振りで、アメリカ人の相手もしました。

【※】埼玉県の日高市
日高市は、2017年高麗郡(コマぐん)建郡1300年を控えています。

【※】霞ヶ関カンツリー倶楽部
霞ヶ関カンツリー倶楽部は、川越市にあり、2020年オリンピックゴルフ場となっています。
    霞ヶ関カンツリー倶楽部

中学生になると、キャディに加え、新聞配達を始めました。
卒業後は、箪笥の金具を作る製作所、浄水場の塀作り、鉄工所でのベアリング作り、運送屋、土建屋、キャバレーのボーイなど、15もの職を転々とした。

日高市の高萩中学校中学卒業後、ホンダの正社員になりますが 1年半で退職します。

さいたま市のラーメン店で働き始めます。

1968年27歳の時、さいたま市岩槻のラーメン店で働いた後、雇われ店主となります。
スナック経営に手を出し、1年後にラーメン店も閉店に追い込まれてしまいます。

1973年32歳の時、大宮駅前・北銀座に、5坪のラーメン店「来来軒」を開店します。
出前に注力し、明け方近くまで働きます。
店の小上がりで寝起きします。

2年後の1975年34歳の時、大宮南銀座店に2号店を開店します。

この頃、会社員が昼食を外でとるケースがふえた事に気づきます。
ラーメン店の多店舗展開を考えます。
実弟の町田功(現取締役)、義弟の高橋均(現社長)を説得し、会社組織にすることを提案します。

一般的なチェーンは、車社会の到来を受けて、郊外型の大型店舗が主流でした。
「私は、逆に駅前一等地への出店にこだわりました。
安くて手軽なラーメンをサラリーマンに提供するためです。」
【※】駅前一等地
    徹底した駅前立地戦略を続ける。
   長時間営業でアルコール比率を高めれば、駅前の高い家賃もまかなえます。
   経営計画発表会を始めます。

1978年3月、有限会社日高商事を設立し、代表取締役社長に就任します。

1983年10月、有限会社から株式会社に改組します。

1984年、大宮にセントラルキッチン三橋工場を開設し、食材の製造も始めます。

1993年、都内1号店を赤羽に開店し、都内進出を果たします。

1993年、居酒屋「文楽座」1号店を大宮区桜木町に開店します。

1994年、全国各地のラーメンを集めた「ラーメン館」オープンします。
2003年11月に閉店します。多種類の麺の使い分けと高い価格が原因でした。

1994年、台湾家庭料理専門店「台南市場」1号店を大宮に開店します。

1994年、新宿区に山手線沿線第1号店を新宿歌舞伎町店に開店します。

「10人に食べさせて、10人が満足する味は基本的にありません。
味は、10人中6~7人が満足するまあまあのものでいいと思います。」
「価格を一杯390円に値下げ、低価格の新業態「日高屋」に変換し始めます。」

1998年
商号を「株式会社ハイデイ日高」に変更します。

「銀行の信用を得たり、良い人材を集めたりするためには株式会社になることが必要でした。」

1999年9月
日本証券業協会に店頭登録します。

1999年
ジャスダックに上場します。ラーメン店の上場は珍しいことでした。

2002年6月
主力を低価格ラーメンに移行し、1号店新宿東口店を開店します。

餃子をつまみにビールを飲み、ラーメンで1000円以下、を売り文句にしました。
これが受けました。」

2002年12月
100店舗を達成します。

「ファストフードの強みは、安さです。
ラーメンも同じ価格帯で提供できれば、ファストフードの客もウチに流れ込んでくる。
そう思って、つくったのが現在の日高屋です。」

「朝はハンバーガー、昼は牛丼、夜はラーメンで、共存共栄の流れができました。」

「立地は、マクドナルドと吉野家の間にしました。これで莫大な調査費用も浮かせることができました。」

2003年3月
第11回優良フードサービス事業者等表彰の「新規業態開発部門」において、農林水産大臣賞を受賞します。

2005年4月
東京証券取引所二部に上場します。

2006年8月
東京証券取引所一部に上場、第一部指定銘柄となります。

2009年
社長を退き、株式会社ハイデイ日高の代表取締役会長に就任します。

ハイなデイ(1日)を送っていただくために、ハイデイにしました。」
「出店の条件は、長年の勘です。」
経験と勘で出店を決めます。

・ 10期連続増収増益を達成(2013年5月)

・首都圏を中心に318店(2013年3月末)を展開、庶民の味方は600店に向け快走中

・人気メニューという野菜たっぷりタンメン

・使い勝手がいい店

・営業時間が長い店

・アルコール比率が15%、同業他社は3%

・「焼鳥日高」という新しい業態も始まっています。
焼き鳥ならば身体に負担が少なくてすみ、60歳以上の従業員のためにもなります。
客側にとっても1人で気楽に一杯やれ、テイクアウト需要もふえています。
100店をめざしています。

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2013/12/17のお話

・正社員 640 パート6500。333店舗 東京172 埼玉92
・10日に1店舗
・歩いて勘と経験で店舗を開拓。独断
・若い時はどんどん失敗しなさい。経営に民主主義はダメ。



【cf.】
・デフレ勝ち組、なぜか埼玉出身 2010年10月31日 / 日経ヴェリタス
ハイデイ日高 サイゼリヤ しまむら ヤオコー 

(人間発見)ハイデイ日高会長 神田正 (2013/11/15付) 日経
(人間発見)ハイデイ日高会長 神田正さん (2013/11/14付)
(人間発見)ハイデイ日高会長 神田正さん (2013/11/13付)
(人間発見)ハイデイ日高会長 神田正さん (2013/11/12付)
(人間発見)ハイデイ日高会長 神田正さん (2013/11/11付)
大消費地・東京に近く(ハイデイ日高・神田正会長)

「ちょい飲み」で最高益 ハイデイ日高やハブ 2013/6/22 日経


神田正『熱烈 中華食堂日高屋―ラーメンが教えてくれた人生』開発社

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