御食国(み-け-つ くに)の若狭 小浜は、「日本遺産プレミアム」 #桑原政則雑記 #若狭 小浜 #小浜 #御食国(み-け-つ くに) #酒井忠勝 #け(笥) #鯖街道

御食国(み-け-つ くに)の若狭 小浜(わかさ おばま)は、「日本遺産プレミアム」      #桑原政則雑記    #若狭 小浜  #小浜  #御食国(み-け-つ くに)  #酒井忠勝  #(笥)  #鯖街道   

 

★1 御食国(み-け-つ  くに)とは、「け(笥=食物)の国」のこと
★2 若狭国小浜藩の初代藩主は、酒井忠勝



★1 御食国(み-け-つ  くに)とは、「け(笥=食物)の国」のこと

1)け(笥)=「食物を盛る器」⇒ 食物

け(笥)は、「食物を盛る器」のことで、
転じて「食物」となりました。

【※ け(笥)の例
「家(いへ)にあれば、け(笥)に盛る飯 (いひ) を、
旅にしあれば椎 (しひ) の葉に盛る」〈万葉集・一四二〉


2)「み」=尊敬すべき物への接頭語

み-け(笥)=(天皇陛下の)「お召し上がり物、食物」 



3)「み-け-つ」の「つ」とは、「~の」のことです。

「み-け-つ くに」で  「食べ物国」 となります。


【※ 「つ」=「~の」  の例

「沖つ白波」⇒ 沖白波 

「まつげ」の「つ」は、「目++毛」のこと




通して、「み-け-つ  くに(御食国)」  で、

(天皇陛下への)食物 の(=を納めた)国 (若狭 小浜)のことです。


若狭 小浜と京都をつなぐ鯖街道は思いの外近い

★2 若狭国小浜藩の初代藩主は、酒井忠勝

若狭国小浜藩の初代藩主は、酒井忠勝です。

川越藩の第3代藩主10万石から
若狭(わかさ)国小浜藩の初代藩主に12万3500石で栄転しました。

3代 徳川家光は酒井忠勝を特に信任し、
「我が右手は酒井忠勝、我が左手は松平信綱」と述べました。
なお、松平信綱は、川越藩の名君です。

酒井忠勝は、老中、大老の要職につきました。


酒井家は、将軍家の親族です。
現在の皇室とも、つながっています。

享年76歳。小浜神社に祀られています


川越の時の鐘は、酒井忠勝がつくったものです。
酒井忠勝は、獅子舞を愛好するあまり、
川越から獅子の演者を小浜へ連れていきました。
小浜市の「雲浜獅子(うんぴんじし)」です。

小浜市と川越市は姉妹都市です。
マチとマチの交流で、地域は物語がふえ、歴史も文化も豊かになります。

(--;)

若狭 小浜は、京に近い港を抱えた有力藩でした。
京の周辺防備の拠点です。
小浜は京の真北にあります。
鯖街道で80キロです。


小浜は京の真北


日本海の外港は、外敵襲来への道ともなっています。

平安時代には、刀伊の入寇(といのにゅうこう)事件がありました。
中国大陸の女真族(じょしんぞく)が、北九州沿岸に攻め込みました。

1978年には小浜市の海岸で、北朝鮮による拉致事件も発生しています。


(後略)





土井利勝 #桑原政則雑記 #古河藩初代藩主 #家康、秀忠、家光 #幕府大老

 土井利勝   #桑原政則雑記    #古河藩初代藩主   #家康、秀忠、家光  #幕府大老  

土井利勝

 1573年4月19日ー 1644年8月12日。71歳

江戸時代になると、古河(こが)は北の守りの要地となりました。


古河は、川越と同様、江戸城を守る要地でした。


古河藩主には有力な譜代大名が配置されました。
土井家は、12代にわたり、古河の繁栄の基を築きました。


土井利勝は、古河藩初代藩主で、古河城を最大に拡張しました。

2代 徳川秀忠政権の老中として、絶大な権勢を誇りました。


幼時から家康に仕え、

2代 秀忠(ひでただ)誕生とともに秀忠付きとなり、
よく任を果たしました。

3代 家光のときには大老となりました。


土井利勝は、徳川家康の子ともといわれました。

正定寺(しょうじょうじ)は、土井家の廟所になっています。

古河市は、栃木、埼玉に接する茨城県西端