天海が平将門の霊を神田神社に移す

天海が平将門の霊を神田神社に移す

江戸の総鎮守、神田神社
芝崎納豆

男坂。神田神社は台地に

1590年に 55歳の天海は、川越・喜多院に移ります。
天海は、それまでは一種流浪の学問僧でした。

同じ年の1590年、家康は初めての江戸入りを果たします。
川越・喜多院の天海は多くの僧と共に、家康によばれました。

言い伝えによれば、
このとき天海は不老長寿の秘薬として、川越の納豆を献上しました。

家康は、この納豆をいたく気に入りました。
やがてこの芝崎納豆は江戸の名物になりました。
いまも芝崎納豆は、参道のみやげ店で売っています。 



徳川家康・秀忠・家光の宗教顧問・天海は神田神社に平将門(たいらのまさかど)の霊を、
大手町(旧称は芝崎)から今の地に分祀(ぶんし)し、
江戸の町の総鎮守にしました。
1603年家康が江戸幕府を開いた年です。


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平将門は朝廷に反抗した朝廷の敵でした。

天海は、民衆に人気のあった将門を江戸の街を守る神様にすることにより、
江戸の民が尊皇思想に傾斜しすぎないようにしくみました。
徳川幕府の基盤は、初期はまだ脆弱でした。

1874年明治天皇が神田神社に参拝することになりました。
明治政府は、神田神社内の朝敵・将門の霊を格の低い別のところへ移してしまいました。

 この措置は江戸っ子の反発を買いました。

江戸っ子の意向を組んで、1984年(昭和59年)になって、ふたたび本殿に移されました。

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神田神社の通称は、神田明神です。
明神(みょうじん)とは、「おん神様」という意味の神の尊称です。
神田祭は、2年ごとの5月15日にもよおされます。

神田祭で江戸の人々は、荒ぶる将門公を鎮め続けます。

神田祭(平将門)は、祇園祭(スサオノミコト)・天神祭(菅原道真)とならぶ日本3大祭です。