桑原政則の「合縁奇縁」
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寛永寺の根本中堂は、喜多院から移築したもの
寛永寺の根本中堂。川越・喜多院から移築
寛永寺の根本中堂(こんぽんちゅうどう=本堂)は、
川越・喜多院から移築したものです。
1868年、寛永寺は
官軍に焼き尽くされました。
1879年、川越・喜多院の本地堂(講堂)を解体し、寛永寺に移築し本堂にしました。
喜多院の本地堂あとは、慈眼堂(じげんどう)と鐘楼門を結んで道路を横切った民家となっていま
す。民家の裏は仙波仙芳塚(せんばせんぽうづか)となっています。
※慈眼堂は、慈眼大師・天海をまつる御堂です。
喜多院の関係施設の地図
地図の8 が、本地堂(ほんちどう)の跡です。
拡大してごらんください。
出典 台東区教育委員会
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