島津氏の初代・忠久は、母が東松山の比企氏
島津氏の初代・忠久は、母が東松山の比企氏
島津氏の初代は、鎌倉時代の忠久です。
島津氏は、以降江戸時代末まで29代700年近くも続いた珍しい一族です。
島津忠久は、母が比企氏でした。
鎌倉で生活しますが、有力な豪族・比企能員(ひき よしかず)の縁者であったことで、薩摩の守護に任じられました。
島津家には「忠久は源頼朝の子供」という言い伝えがあります。忠久が建てた鹿児島の花尾(はなお)神社は、源頼朝と丹後局(忠久の母〉を祀っています。(【cf.】麓 純雄(ふもと・すみお))
『探訪 比企一族』。東松山のグループが出版
島津氏の初代は、鎌倉時代の忠久です。
島津氏は、以降江戸時代末まで29代700年近くも続いた珍しい一族です。
島津忠久は、母が比企氏でした。
鎌倉で生活しますが、有力な豪族・比企能員(ひき よしかず)の縁者であったことで、薩摩の守護に任じられました。
島津家には「忠久は源頼朝の子供」という言い伝えがあります。忠久が建てた鹿児島の花尾(はなお)神社は、源頼朝と丹後局(忠久の母〉を祀っています。(【cf.】麓 純雄(ふもと・すみお))
『探訪 比企一族』。東松山のグループが出版
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